ダーウィンにしろ、フロイトにしろ、ルターにしろ、神経症と思われる過程を経て、自分の葛藤と折り合いをつけることができました。しかし、それが個人的課題の解決になったばかりか、人類の課題の解決に結びつくものだったのです。人生は不思議なものですね。それを体験したものは、感謝したくてたまらないでしょう。
「神のみ言葉」 マルティンは、その時までに、神の「スポークスマン」、神の説教者、伝道の教師、神の雄弁家、伝道用パンレットを書く人になったのでした。これが、ルターの自分を確かにする道(アイデンティティ)の職業面です。ルターは「自分の声」をついに自由にすることによって、創造的な人物になったのです。(ルターを研究する)大学教授、聖職者、精神科医、社会学者が一致している一つは、ルターが言葉に対して桁外れの賜物に恵まれていることです。それは、文字言葉に対する鋭い感性ですし、大事な語句を記憶する力ですし、話し言葉(詩、聖書、風刺、通俗)に対する守備範囲の広さです。これは、英語圏で言えば、シェークスピアくらいしか匹敵するものがいないほどです。
どん底で、マルティンは自分の声を見つけたのです。それは、人生のどん底で、ジョージ・バーナード・ショーが、自分自身の声を、光の中で、聞くことができたのと同じです。これが、あらゆる創造性の源であり、自分を確かにする源であり、本当の自分の源であり、真の自由(中村元先生によれば、仏教でいう「自由」も「本当の自分に由る」という意味だそうです)の源なのです。
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