生まれながらの役者発達トラウマ障害(DTD)の子どもは、お互い様を学べたらいいですね。そのためには、関わる大人がやり取りを相当意識することが必要です。 The body k......
高校生のとき,水泳部の友人が,プールで,シンクロナイズド・スイミングをやるのを見て,上手だなぁ,と思ったことがあります。でも,毛深いなぁ,とも思ったんですね。なんせ,やっていたのが,男でしたから。
でも,「シンクロ」といっても,シンクロナイズド・スイミングではありません。さっき,翻訳しました,ヴァン・デ・コーク教授の本の件に,「主人公になった人にとってばかりではなく,多くの場合,他の参加者の人たちにとっても,折り合いをつけなくてはいけない人に「なる」」,とありましたでしょ。主人公になった人の生活劇ですから,主人公になった人にとって,折り合いがつかずに来た人が,登場するのは分かる。でも,周りの証人になっている参加者にとっても,同時に,折り合いがつかなかった人になる場合が多い,というのは,不思議でしょ。別に同じ課題がある人を,わざわざ集めたわけじゃなくて,偶然同じワークショップに集まっただけなのに,一人の生活劇をやると,参加者にとっても,心理的課題がシンクロしてくる…。
しかも,これは,この,うまくすれば,かなりの効果が期待できると同時に,とっても危険が孕みそうな,ペッソ・ボイデン体感療法のワークショップに限った話じゃぁない,ということです。
自分の例を挙げるのは,ちょっと今回控えるとして,河合隼雄先生が取り上げているところをご紹介しましょうね。現在は学習院大学の教授で,以前は東大の教育学部の教授だった佐藤学さんは,高校のころ,進学校に不適応を起こして,退学する寸前までいったそうですね。でも,瀬戸内の島にある実家に帰ろうとした船が,嵐のために欠航になり,帰れずにいたところ,ある音楽の教員が,バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」第二番の「シャコンヌ」を一緒に聴こう,と誘ってくれたのだそうです。それがきっかけで,佐藤少年は,高校を辞めるのを踏みとどまったらしい。だけど,そのとき,その音楽の教師の方も,自分の音楽教育に疑問を持って,教師を辞めようとしていたことが,ずっと後になってから,分かった…。河合隼雄先生は,「『シャコンヌ』を仲立ちとする沈黙のなかで,象徴的体験を交換し合っていた』と述べています(『日本文化のゆくえ』岩波書店 p.67)。佐藤少年と,その音楽教師は,同じ課題でシンクロしていたんですね。そして,二人はともに退学も辞職もしないで,踏みとどまることができた…。不思議でしょ。
サイコセラピーをしていると,そういうシンクロにしばしば出合います。私が,「エンジャル・シェアリング」と呼んでいることです。シンクロがあると,もう,サイコセラピーは大成功なんですね。そういうケースについて,「こんなに早く治ることは,珍しい」と高名な大学教授に,言われたことがあるくらいです。
シンクロは,実は偶然ではなく,お祈りのような実現力,必然性を読み解く力に伴うものなんですね。
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