国立 第3公園の桜
オッカム主義は、神の絶対性に対して、どう関係したのでしょうか?
Young Man Luther 『青年ルター』p190の第2パラグラフの下から7行目途中から。
私たちができることといったら、ローマカトリックに従うことくらい。(オッカムは、従わなかったのに) あるいは、合理的であることくらい(ratio recta spec)。神様の律法は、論理には服するはずだと思ったからです。ジェルソンは、フランスの著名なオッカム主義者で、ルターが大好きな著者で、当時の聖職者には必読書をなした人ですが、その人でさえ、「神様に期待できることは、最後の審判では、理にかなわないことはしないはずだ、ということくらい」と言ってるくらいですからね。
こうして、オッカム主義は、単に理性の人になっちゃったんですね。神様は機械仕掛け。
不思議を感じる心をなくしちゃった、という訳でしょう。
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