エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#厳しく躾過ぎ #アメリカの機械化の時代 #ニッポンは子捨ての時代

2018-08-08 06:06:19 | エリクソンの発達臨床心理
 
#抑圧された記憶の科学 #保守的な精神医学の世界
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 Identity and the life cycle  『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.69の,第2パラグラフ,10行目途中からです。 その前も,ご一緒に。

 

 

  ≪私≫が生きている実感に則って行動して善いこと 対 ≪私≫が生きている実感を感じて,それが親がいけないのか自分が悪いのか迷うこと

 

  スポックの本『1歳の赤ちゃん』,『上手な子育て』で論じられている項目を見渡してみると,私どもは,我が家には,このような問いを発する被造物達はいなくても,自分が子どもと様々な言い争いをして,勝ったり,負けたりしている現実を思い起こすことができますでしょ。

 元気いっぱい

 冒険したい気持ち

 もっと頼りたいし,同時に,もっと1人でやりたい気持ちになる。

 あちこちに動き回る赤ちゃんのために,家の中を配置換え

 事故を防ぐ

 赤ちゃんの手の届くところに,毒になるものを置かない時

 自分のことは自分でできるようにするにはどうすればいいのか?

 物を落としたり,投げたりすること

 子ども達が自分の攻撃的な気持ちを収めるようになる

 噛みつく人間

 寝る時間を良い時間にする

 夜になっても寝ようとしない幼子

 

 

 私が選んだ項目は,ここで示した様々な問題の一覧表と範囲をお伝えしようとしています。ただし,ここでは,スポック先生の優れたアドヴァイスやバランスの良さを検討しません。このバランスの良さは,とても分かりやすく,しかも,事実に即して描いている点ですが,子育ての場は,ほかの創造の舞台でも,この優れたアドヴァイスとバランスの良さに従って生きるのが善いでしょう。それにもかかわらず,不吉な様々な力の兆しが1つあります。その不吉な力は,方や縛り付けられた,方や解き放たれますが,特に,対等でない親子2人の意志が不定期にぶつかり合う時には,子どもの不吉な力は我慢させられるのに,親の不吉な力は解き放たれてしまいます。というのも,その子どもは,自分の暴力的な衝動と釣り合いませんし,親子も互いに対等ではありませんから。

 この創造の舞台で,何よりも大事なことは,筋肉が育って,その結果できることも増えてくることです(できない,と感じることも二重になります)。その筋肉の働きも,その結果できることも,「我慢する」と「手放す」という2つの非常に相矛盾する行動バターンと,とても大きな価値を,結び付けて一体と見なすためです。そのとても大きな価値とは,まだまだ人に頼りっきりの幼子が,自分が生きている実感を自分の法則,自分が生きていくときの人生の習慣にしたいと願う願いを与えられ始めるものです。

 精神分析が私どもの言葉を豊かにしてくれたのは,「お尻の穴」という言葉です。「お尻の穴」とは,特別な心地よさと強情さを示し,この創造の舞台では,様々な出す所と関係します。お腹や膀胱を,できるだけ空っぽにする全ての道は,心地よく感じる」ご褒美で始まるものです。上手にできると,「上手,上手」と言われます。このご褒美は,人生の始まりにおいて,お腹が毎日仕事をする時の不快感や緊張を埋め合わせるはずです。赤ちゃんとお母さんは,赤ちゃんが,≪私≫が生きている実感引っ込めずに済むようにお互いを振り返り,聖書の神様の命が一巡するようになります。素晴らしい立ち姿で立つことができて,筋肉が創造のために整えられると,≪私≫が生きている実感に従って喜んでやる意志ノビノビと育つ場合がありますし,≪私≫が生きている実感落として,なくしてしまうことになる場合もあります。しかし,母子の出会いを研究する新たな評価は,母子を固く結びつける様々な絆があることに限りません。実際に,創造する唯一の力強い影響力のある上等な唯一無二の生命力(である,聖書の神様)は,≪私≫が生きている実感を落として,捨ててしまうことになることもあるし,≪私≫が生きている実感控えたり,出して生きたりすることを,お互いにする場合もあります。

 お尻の穴に関する限り,この点では,全ては,文化的状況がお尻の穴を大切にするかどうか次第です。両親が,お尻の穴が出したり引っ込めたりする行動の仕方を大切にしないで,年上の子ども達が,よちよち歩きの子どもを茂みに連れていくのに任せて,お尻のことはキチンとしたいと思う気持ちが,目上の子ども等の真似をしたいと願う気持ちと一致するようにする文化もあります。私ども西洋の市民社会,特に,市民社会のかなりの階層の人たちは,お尻の穴のしつけを,かなり厳格に考えます。まさに機械化の時代によって,機械みたいにしつけ,間違いなく働き,いつもきれいで,時間通りで,しかも,無臭の身体であることが理想である,と見なされるようになっています。それに加えて,大なり小なり,意識的な正しいと思われているのは,赤ちゃんの時に厳格に躾けることは,「時は金なり」とされ,規律正しいこと,時間通りであること,成功することが持て囃される機械化の時代の波に乗ってうまく立ち回れる人種になるためには,絶対に必要なことだ,ということです。これが意味することは,私どもは,厳しく躾け過ぎだ,ということです。



 

 

 

 機械化の時代を迎えていた40年前にアメリカでは,躾が厳しすぎる,とエリクソンは言いました。 

 日本は,どうですか?

 日本は自覚なき子捨ての時代です

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