子どもの貧困。今日はその4回目。
それは、子どもの遊びから感じることです。休み時間、私は、なるべく、屋外や体育館で遊ぶようにしています。長縄跳び、ドッヂボール、リレー、バトミントン、卓球…。一番子どもたちにリクエストが多いのが、鬼ごっこ。特に氷鬼。
何故なんでしょうか?
それは、追いかけてもらいたいからです。鬼ごっこをやる時、「鬼はおじさんね」と、ジャンケンもしないうちから、私が鬼、ということに決まってます。「おじさん、鬼で良いよ」と私も応じます。
氷鬼。いったん捕まえても、捕まえてない子にタッチされちゃえば、逃げられる。捕まえても、捕まえても、きりがない感じ。でもね、子どもたちは何度追いかけられても、追いかけてほしい感じです。
鬼ごっこ、氷鬼も、イナイ・イナイ・バーの1つ。そのヴァリエーションでしょ。一度見失った相手を、もう一度見つける遊び。追いかけてもらいたいのは、見失った相手を見つける、というのを自分がするのじゃなくて、自分がしてもらうことですね。探す、追いかけるのは、自分じゃなくて、相手になりますもんね。見失った母親を追いかけるのじゃなくて、母親代わりの鬼に追いかけてもらいたい…。
そういう子どもは、じっくりと親と時間を共にしていないことが多いのでしゃぁないのかなぁ。少しの時間でもいいから、自分の話に耳を傾けてもらうことがあまりないのじゃないのかなぁ。大人が忙しそうにしているから、大人が疲れているようだから、「邪魔しちゃいけない」と感じて、健気に「いい子」を演じているのじゃないのかなぁ…。
子どもたちが、子どもたちが満足できる感じの時間を、大人たちからプレゼントされてない。この時間をプレゼントされてない、というのが、今の子どもたちの根源的な貧困だと、私は確信しています。
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