実在論から、言葉のイメージの力を示す寓話が生まれました。
Young Man Luther 『青年ルター』のp187の第3パラグラフの4行目途中から。ホイジンガの引用の続き。
寓話はシンボリズムと同じなわけではありません。シンボリズムが2つにイデアの間に神秘的な繋がりを示すのですが、寓話は、このような1つの繋がりの概念に、視覚的なイメージを与えてくれます。シンボリズムは、心の非常に深い働きですし、寓話は心の表面的な働きです。シンボリズムは、象徴的なイデアを表現するのに役立ちますが、他方で、同時に、イキイキとしたイデアに代わって、1つの偶像に置き換えることによって、象徴的な考え方を危うくすることにもなります。シンボルの力は、寓話の中で簡単に失われてしまいます…。
キリスト教とシンボリズム。十字架や教会が代表選手かもしれません。教会について話すと分かり易いと思います。
教会は、キリスト者の群れの事。元来は、信頼するものが集まっていることを、その集会を意味します。しかし、今「教会」と言えば、建物、教会堂、お御堂、カテドラルを連想しませんか? 信頼するもの同士が集まっていることを本来意味する「教会」が、その本来の意味を忘れる契機に、「教会」というシンボリズムがなる危険があります。これを明確に意識したのが、内村鑑三でした。
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