「柏会」。神谷美恵子さんのことについて記した時に、そのお父さんの前田多門がこの「柏会」のメンバーだったことを記しましたね。今日は、その「柏会」のお話。
第一高等学校の校長、新渡戸稲造が、一高近くの家で読書会をしていました。そこには、一高を卒業して東京帝国大学に進学していた学生も参加していました。鈴木範久先生の『内村鑑三の人と思想』(岩波書店)によれば、その読書会のメンバーの高木八尺、黒木三次がすでに内村の聖書研究会に参加していたそうです。それで、その読書会のメンバーにも、内村のことが知られていき、刺激になっていたらしい。1909年10月29日に、新渡戸の紹介状を持って、十数名の学生が内村を訪ねました。そして、そのメンバーが「柏会」を結成しました。一高の校章が柏葉で、内村が住んでるところが淀橋町柏木だったことから、「柏会」と命名されたようです。矢内原忠雄など、その後参加したメンバーもいました。
柏会の主要なメンバーは以下の通り(小原信『内村鑑三の生涯』(PHP研究所)も参考にしました)。
黒木三次、高木八尺、藤井武、前田多門、黒崎幸吉、矢内原忠雄、塚本虎二、田中耕太郎、笠間杲雄、岩永祐吉、川西実三、澤田廉三、森戸辰夫、三谷隆正、鶴見祐輔、金井清、田島道治、膳桂之助、江原萬里
この人たちは、内村の後、無教会を担った、文字通り中心メンバーです。 内村自身はこの「柏会」を「マムシの卵」と呼んでいたようです。
無教会独立伝道者になったのが、藤井武、黒崎幸吉、塚本虎二、江原萬里ですし、東大教授、総長をしながら、熱心に伝道したものに矢内原忠雄がいます。また、三谷隆正は、その高潔な人格から、一高の教授時代、その生徒に深い感化を与えた人として知られています。これらの人の伝道のおかげで、無教会は深まり広がって生きました。藤井武と塚本虎二は、将来を嘱望されたエリート官僚だったのに、その地位をなげうって独立伝道に入ったので、当時騒がれたそうですよ。塚本は新約聖書の福音書が岩波文庫に入っているので、ご存知の方もあるでしょう。世界的な旧約学者の関根正雄は、最晩年の内村鑑三の弟子ですが、内村がなくなった後は、塚本虎二に師事しています。田中耕太郎と森戸辰夫は、文部大臣ですし、鶴見祐輔は厚生大臣であり、社会学者の鶴見和子、哲学者の鶴見俊輔の父親です。
教育基本法制定に尽力した文部大臣の田中耕太郎、教育刷新委員会のメンバーになった森戸辰夫も「柏会」でした。日本の民主主義教育の流れを作る一翼をなしたのも、「柏会」でした。
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