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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

あらあら・・・実は、多くのニッポン人は、愛着障害だってさ!

2016-02-20 07:41:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
「不本意な選択を強いる嫌な時代」と「今の日本の教育」 改訂版
  「嫌な時代だったなぁ。日本人の誰もが何かしら、不本意な選択を強いられていたんだ」。これは山田洋二監督の映画「小さいおうち」の中で、総轄的なシーンで、今は亡き米...
 

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.205の真ん中あたりから。ブルース・ペリー教授が描く愛着障害の続きです。

 

 

 

 

 

しかしながら、この誰彼かまわず、情緒的な繋がりを持とうとする行動は、本当は他者と繋がりを持とうとすることではなくて、正確には「言いなりになっている」行動だと理解されています。この「言いなりになっている」行動とは、支配的で強い大人たちに、「僕はあなたに従うし、あなたの言いなりになりますし、脅かしたりなどしませんから」というサインを出す行動です。反応性愛着障害の子ども等が学習しているのは、情緒的な繋がりを持つ行動は、すぐに人をを叱りつけるかもしれない大人たちをなだめることが出来る行動だけれども、生涯にわたる情緒的な絆を作り出すやり方で、すぐに人を叱りつけるかもしれない大人たちと関わり合っているものではない、ということです

 

 

 

 

 

  誰彼かまわず、情緒的な繋がりを持とうとする行動は、脱抑制タイプの愛着障害の人に典型的な行動です。

 しかし、ブルース・ペリー教授の、この文書を読んで、私は別のことを考えましたね。

 誰彼かまわず、情緒的な繋がりを持とうとする行動は、脱抑制タイプの愛着障害の人に典型的な行動であることに、間違いはないのですが、この行動は、ブルース・ペリー教授によれば、「僕はあなたに従うし、あなたの言いなりになりますし、脅かしたりなどしませんから」というサインを、その場で一番力のあると思しき大人に送る行動が正解だという訳でしょ。これは、ニッポンの「ムラ社会」に生きる「人間を上下2つのわれるウソ」にまみれたニッポンの太鼓持ち達がやる行動の典型でもあるでしょ。

 加藤周一さんは、その遺作『日本文化における時間と空間』(p.161)の中で、次の様に私どもに教えてくれています。

 「ムラ社会に典型的な内人(ウチビト)/外人(ソトビト)関係――隣村との平等を例外とする不平等関係――が、長い間、少なくとも1000年以上続けば、そのことからムラの水準ばかりではなく日本社会のあらゆる水準において、すべての人間関係を、相手との上下関係に還元しようとする強い心理的傾向が生み出されるだろう」

 このように見て見る時、対等な人間関係を知らないし、対等な人間関係を結べない、「人間を上下2つに分けるウソ」を盲信する、実に多くの「ムラ社会」に属する日本人が、ブルース・ペリー教授が言う、愛着障害の大人ということになりますね。

 

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