加藤周一さん。私が一番好きな思想家です。評論家と呼ばれる場合もありますけれども、評論家の私の定義からは、遥かに学識深い方なので、思想家、あるいは、哲学者と呼ばざるを得ません。
加藤周一さんは、2008年12月5日亡くなったのですが、その4ヶ月ほど前、8月4日に、旧知の放送ジャーナリスト、桜井均氏らのインタヴューに、上野毛の自宅で応えています。私は、その様子を、NHKの放送で見たことがありますが、もう痩せこけていて、ちょっと痛々しい佇まいでした。それでも、言い残しておきたいことがあったし、それを記録したいと考えたジャーナリストがいた、ということだろうと思います。その全貌は、岩波現代文庫の『私にとっての20世紀 付 最後のメッセージ』で読めます。私は加藤周一さんの遺言だと考えています。
そこで、加藤周一さんは、今のニッポンは「閉塞感」に包まれていると言います。息苦しさですね。石川啄木が言ったという「閉塞感」です。そして、「明治維新以来の日本は、ずっと非人格化、非個人化、間化と言う代価を支払って、経済的発展や軍事的な力を持つようになった」ズバリと指摘します。それに対して、未来に対する希望として、「なんとか人間らしさを世界の中で再生させることを意識しなければならない」ということをおっしゃいます。そのために必要なこととして、少なくとも2つを上げます。
1つは、「何が相手なのか、敵なのかを理解すること」と言います。
もう1つは、「事実認識」です。事実を正確に知り、本当のことを言わなければダメだ、ということです。
今私どもも、何が「閉塞感」をもたらすもとになっているのか、その「敵」を理解する必要性があるでしょう。
しかし、それだけでは足りません。今起こっていることを正確に知ること、そして、知るだけではなくて、それはハッキリと、パレーシアに言うことが必要だ、ということです。
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