道徳と、倫理は、似て非なるものらしい。向きが違うらしい。それってどういう意味?
p222の第2パラグラフ。
1つ提案したいのですが、それは、道徳的な行動規範は、「脅し」を先回りして恐れることとに基づいている、と考えたいということです。その「脅し」とは、見捨てられること、裁かれること、さらし者にされること、あるいは、良心の呵責で、罪深いと感じたり、恥を感じたり、相手にされないと感じたりすることかもしれません。いずれの場合も、規範に従う判断基準は、さほどハッキリしないかもわかりません。反対に、倫理的規範は、十二分に理性的に納得したうえで求めた理想、定式化された善、完成の定義、自己実現を約束するいくつかの約束に対して納得している理想に基づいています。この違いは既存の定義と一致しないかもしれませんが、人間の発達を観察することによって具体化したものと考えたいです。そこで、最初の提案です。道徳的な感じと倫理的な感じは、心理的な動きにおいて違いがあります。というのも、道徳的な感じは早めに、より未熟な段階で発達するからです。これは、道徳的な感じが、いわば飛び級ができるということではありません。逆に、大人の心にある年輪は、子どもが成長するに当たって、一歩ずつ発達したものですし、自分の文化の中で、善い行いだとされることを理解する際に、大事な歩みのすべては、よきにつけあしきにつけ、個人が成熟する際の別々の発達の舞台にあります。しかし、その歩みすべては、お互いに必要なんですね。
道徳は、悪いことをされたら嫌だ、怖いねという思いから発達していると、フロムは言います。逆に倫理は、それぞれの人が納得した理想に基づいているわけですね。2つは、オリエンテーションが真逆だと言えますでしょう。
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