罪を何かの行為に結びつけることも、どうなんでしょう? それは救いよりも罪責感だけを強調することになりがちです。罪はあくまで「的外れ」なんですからね、
Young Man Luther 『青年ルター』のp187の第4パラグラフ下から2行目途中から。まだまだ、ホイジンガの引用の続き。
カルトゥジオ修道会のドニが空しくも人々に思い出させたことは、ドニが熱病や風邪や汚れた体液を罪と呼んだのは、比べるためだった、ということです。そのドニの教えは教義の制約を完全に無視した、世間受けを狙った思いでした。
次の文章からは、ルターが時として身体の一部や感覚に心奪われていたことに対して中世の背景を教えてくれます。
ドニは、行為ではなく、モノや状況と罪を結びつけました。それは教義から外れるだけではなく、本来の「的外れ」という意味の罪からも「的外れ」なものでした。
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