神様にも発達段階があるのかしらね?
p60第2パラグラフ。
母親中心の宗教から父親中心の宗教へと発達することについて、お話しましょうね。バッハオーフェンとモルガンの、19世紀半ばの、偉大で重大な発見によれば、この発見がほとんどの大学研究機関でさらされることになった反発にもかかわらず、父性的な宗教に進む宗教の母性的な側面が、少なくとも多くの文化の中にあることに間違いない、ということでした。母性的な側面において、最も尊いのは母親です。母親は神であり、母親は家族の中でも、社会の中でも、権威です。母性的な宗教の核心を理解するためには、母親が子を思う気持ちの核心について言われてきたことを思い出しさえすればいいのです。母親が子を思う気持ちは、掛け値なしですし、どんなものからでも守ってくれるし、全てを包み込んでくれます。母親が子を思う気持ちは、掛け値なしだからこそ、母親が子を思う気持ちは他者からコントロールされたり、捕まえられたりすることもありません。母親が子を思う気持ちがあれば、大事にされた人は恵みを感じます。それがなければ、迷子になった感じと全くの絶望を感じます。母親が子を思うのは、自分の子どもだからなのであって、子どもたちが「いい子」だからでも、従順だからでも、自分の願いや要求を満たしてくれるからでもありません。母親が子を思う気持ちは、対等な関係に基づいてるんですね。すべての人が対等なのは、全ての人は1人の母の子どもだからですし、母なる大地の子どもだからです。
母親が神である、というのは、母親が子を思う気持ちに掛け値がないからでしょう。神の慈しみに掛け値がないのと同じです。
日本の子どもたちは、厳しい掛け値、厳しい条件を出されることかあまりにも多いので、ここは日本のすべてのお母さんと、その近くにいるすべてのお父さんにプレゼントしたいですね。もちろん、親愛なる友! にもね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます