陽気で楽しいヴィジョン 約束という声の光
2013-08-08 01:30:33 | エリクソンの発達臨床心理
<私>を育てることは<生きていく方向(オリエンテーション)>を内面化するとともに、<生きていく方向(オリエンテーション)>に従って、具体的に暮らすことでもあります。<生きていく方向(オリエンテーション)>は、一朝一夕の真似のできるものではありません。毎日毎日、奥さん(旦那さん)の声や上司・同僚の声やマスコミの声、それに、世間の声や、すぐに「○○はダメでしょ」「自分を出しちゃダメでしょ」と否定してくる心の声をかき分けて、自分自身の小さな声を聴き分けていかなくてはなりません。それは極めて孤独な(alone [1人]であり、lonely[寂しい]であると同時に、solitude[自分自身の声を聴き、対話するゆとり、自由]にもできる)作業です。それは日常生活のごく些細なこと、ごく些細な関わりを通して、自分自身の小さな声に従うことを繰り返す中で、<私>が育っていくのです。その中で、不思議なことですが、<生きていく方向(オリエンテーション)>も育っていきます。まさに、神は細部に宿りたもう、です。
権力、と言うといかにも強そうですが、日本の権力の操り人形は、丸山眞男教授が指摘しておられるように、小心翼々たる人物です。つまり小物です。人間を「小物」呼ばわりするのは、片方で「大物」を想起していることのなるから、「人間を上下2つに分けるウソ」なことではないのかな? と疑われる方もいるかもしれません。
私はハッキリNOと申し上げましょう。「小物」でも「大物」でも人間としての価値に変わりがないからです。どちらも、大事にしたい人たちですね。
私がここで申し上げるのは、「小物」とはどんな人かと言えば、「みんな」のためと称して、自分の気持ちを恣意的に最優先する奴のことなんですね。日本の組織では、無能な「小物」が長のつくポジションにあることが非常に多いので、その「組織の判断」と称してはいても、実際には、その「小物」の身勝手である、その判断が、いじめと圧力の様相を帯びる場合があります。
その時の対処法を私なりに考えてみました。それはエリクソンがいつだって教えてくれる方法です。すなわち、「陽気で楽しい」、playfulです。真面目に取り合っちゃダメなんですね。向きにならないこと。カール・バルトはいつも言っていたようですよ。「究極の一歩手前の真剣さで」ってね。それは、ゆとりと遊びです。
ですから、「小物」が圧力をかけてくる時も、ゆとりの遊びを大事にして、陽気で楽しく道を見つけていけるんですね。良かったね。ですから、神様は創造のたびに「良し」と仰せなんですね。
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