ディアスボラ、フロンティア、移民。歴史的に特別な事実が、心の時空を決める構えにもなる。ということは実に不思議な感じがしますよね。
p333の1行目途中から。
このように日常的に期待できるものにおける、根っこからの変革と、絶対的な核の弱みに対する全く新しい脅威が、個人が≪いまここ≫に生きることに、すなわち、心理社会的に自分を確かにする道にも、民族が自分を確かにする道にも、吸収されるようになるのは、その歩みがカメのごとくのろい、ということです。そう言った根っからの変革と脅威にために、世の中に対する全体的なイメージを、ハッキリと方向付け直すことが、まさに、求められていますし、あるいは、実際にそれを待つ以外にありません。この世の中に対する全体的なイメージは、工業技術が発展するという否定できない事実と、倫理的にどう折り合いをつけていくのかということに対する新たなモデルを創り出す力とに、基づくものなんですね。
ここのエリクソンの記述も見事ですね。さすがはエリクソンですね。大きな変化と新たな脅威を前にして、世の中に対するイメージを根っこから変革することを迫られます。今の日本もそうでしょう。
この時、日本人ならば、現実的に事実に基づくことはできる。しかし、倫理的にどう折り合いをつけていくのか、という新たなモデルを創り出す力は非常に脆い。倫理よりも利益が大事だからです。
しかし、今の日本の、世紀末的、末期的な、重篤な状況を、私利私欲で、変革できる訳がありませんでしょ。エリクソンは、世の中に対するイメージを、倫理的にどのように折り合いをつけていくのか、という新しいモデルを作ることに結びつける。ここがさすがはエリクソンですよね。そう、私どもにこそ、新しいイメージを倫理的に折り合いをつけることが、是非とも必要です。
それは一言にして申し上げれば、ヴィジョンの再生、ということに他なりません。
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