今晩から3日間続けて、「陰になった私」を考えたいと思います。
「陰になった私」とは、別に日陰者の自分、ということではありません。陰が出来るためには、太陽が必要ですよね。太陽から考えると、分かり易いです。心理の世界で「太陽」と言ったら、何だと思います? それは「意識」です。ですから、「日が当たった私」といえば、意識している自分のことですし、「陰になった私」となれば、「意識してない私」「意識できない私」ということになります。ですから、「陰になった私」は、普通の日常生活を送っている時には、そんなものがあることさえ、気付かない。したがって、「陰になった私」は、自分であることを認めること等、到底できませんね。
アンソニー・ストーという、イギリス人の精神科医が、The Integrity of the Personality 『人格の成熟』岩波同時代ライブラリー92 を書いています。私は原著は見てません。ストーは、「陰になった私」の特色を3つ挙げています。
1)他人に投影されがち。
2)幼稚なまま
3)さまざまな問題を起こす
が、3つの特色です。
みなさん、気付かれました? 今晩から、3日続けて、「陰になった私」を取り上げるのは、この3つの特色を一つずつ、お話しよう、と言う私の意図に。そう、そうなんですね。
今晩は、”「陰になった私」は、他人に投影されがちです”、ということがテーマです。
これは聖書では、よく話題になるテーマなんですね。有名どころは、「あなたの眼の中の梁を取りなさい」ですかね。人の眼の中の小さなチリを見つけ出す人は、自分の眼の中には、バカデッカイ梁があることに気付きなさい、ということですね。つまり、人のちっちゃな欠点をとやかくいう人は、自分になかに、同類で、しかも、バカデッカイ欠点がありけれども、それが「陰になった私」になってて、気付いてませんよ、と言ってることです。
日常生活に中でもよくあることですよね。お母さんや教員が、子どもの事を叱っている時には、叱ってる中身がそのお母さんや教員の「陰になった私」であることが、とっても多い。「そんな悪口を言うものではありません」などという人に限って、陰でこそこそと悪口を言いがちだったり、「イジメは止めましょう」などと声高にいう人に限って、学校や職場で、いじめをやってる張本人だったり…。
何故でしょうか?
「陰になった私」は、たいてい、人様が評価してくれない私だからですね。ですから、自分でも評価できない私のマンマになってるんですね。そうすると、次第に、あるいは、はじめから、「評価されない部分の自分」が「陰になった私」になって、意識できない無意識に落っこちちゃう訳ですね。ですから、投影は、意識ではコントロールできなくなってしまいます。“知らず知らずに、他人の小さなあら捜しをして、それを悪く言う”、と言うバターンに陥ります。
ですから、渡辺和子さんがおっしゃるように「ふがいない自分を大事にしてやってください」ということですね。私流に言い直せば、「陰になった私」を、意識的によく眺めて、受容するようにしてねっ、ということですね。
特に人の悪口を言いたくなったときに、「投影かもしれない」と考えることは、1つの叡智、知恵だと考えて、間違いありませんね。
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