自覚なき独裁 無責任な私たちなぜ、≪私≫も≪私たち≫も死んで、「人間を上下二つに分けるウソ」が蔓延する群れる組織となるのか? ヴィジョンを「共に見る」ことと「群れる組織」 ......
エリクソンの言葉に学ぶ日が続きます。Toys and reasons: Stages in the ritualization of experience.から。言葉の宝の山でしょ。上の写真は、5歳?のロバートが作った積木に、ロバートの新たな未来が見えた、というお話です。箱庭療法、絵画療法、プレイセラピー、コラージュ療法などの投影法でも、非常に参考になるところです。
心の中心に折り合いがついてないことが1つあって、それは子どもが生き抜く発達危機の特色です。ロバートの縦長の積木は、運動神経抜群の子どもがダンスを踊って自己主張をしているところで、それは側面にそれとなく現われた、折り合いがついてないことやいろんなトラウマに、打ち勝つことだ、と申し上げました…このような空間のテーマは、過去に負わされたトラウマと、将来の、希望に満ちていると同時に、怖さもいっぱいあることに対するいろんな解決策を結びつける、ある種の時間的な座標軸を含んでいます。
日常生活をノンベンダラリと過ごしていても、トラウマは解決しませんよ。そればかりか、ほとんどの場合が、トラウマに塩を塗るようなことを「良かれ」と勘違いしてしているのです。
今宵エリクソンが示してくれているように、トラウマは、象徴的に、未来の希望と結びつけることが必要なんですね。そして、トラウマが未来の希望になることは、ウソのない心理臨床的な関わりを通して、可能です。
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