「あなたは特別です」 内村鑑三と教育 part2 さらに改訂してみました「上州かるた」から 内村は教員としては、失敗者でした。しかし、失敗者は「辺境者」でもありますね。マックス・ウェーバーの辺境変革説は、教育の世界でも当てはまる...
良心の呵責って、青年期を過ぎちゃうと、鈍感になるのが普通なの?
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.261の、長~い引用部分の後、第3パラグラフから。
思春期後期の危機も、大人のいろんな危機を見通すだけじゃなくて、最初の危機に戻るものですね。自分が生かさせていることに信頼して生きていいのか? それとも、自分が生かされていることに信頼しきれずに、生きざるを得ないのか? という危機ですね。人生の最初と最後の危機を両方含む、青年期の自分を確かにさせる危機が大きく変化することに集中すれば、何故、宗教的に、芸術的に創造性の高い人が、めったに解決出来ないような精神状態を経験するけれども、その経験こそが、人生の酸いも甘いも汲み尽す意味に気付く、人智を超えた恵みであると分かる、ということにも説明がつきますね。
人生は実に不思議にできますでしょ。田中信生先生が「谷が深いほど、峰も高い」ということを説教でよくおっしゃっていたことを思い出しますね。ルターのような創造性の塊のような人は、人がめったに出合わないし、解決するのはもっと難しい課題を経験し、それをたくさんの人の身代わりになって、解決する、ということを、示してくれてる、わけですね。その答えは、文字通り、人生の酸いも甘いも汲み尽す意味に気付く、人智を超えた恵みなんですね。
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