エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#知的障害児者施設 #ゴーストタウンに

2018-10-14 05:12:41 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#自己発見 #ヌミノースの時 #母子が響き合う時
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 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
 第2章。「心と身体を理解する,革命」,p.28,第2パラグラフ,下から7行目から。その前もご一緒に。



苦しみを理解すること


 研究病棟で過ごして数年,私は医学校に戻って,新米の医学博士として,マサチューセッツ州立健康センターに戻りました。それは,精神科医として,ワクワクして引き受けたプログラムの訓練を受けるためでした。たくさんの著名な精神科医がここで訓練を受けていきました。その中には,後にノーベル賞の生理学医学賞を受賞した,エリック・カンデルもいました。アラン・ホブソンが夢を生み出す脳細胞を病院の地下室で発見したのも,私がそこで訓練を受けている時でした。鬱の化学的な基盤に関する最初の研究も,マサチューセッツ州立健康センターで行われました。しかし,我々研修医にとっては,最大の関心事は,患者さん達でしたね。私どもは,患者さん達と6時間一緒にいて,その後で,グループで,先輩の精神科医達に観察したことを分かち合って,様々な質問をしたり,1番合点のいく言葉を競い合ったりしました。
 私どものとても大切な先生,エルヴィン・セムラド先生は,1年生のうちは,精神科の教科書を読んではならん! と檄を飛ばしていました(知的に飢えたおかげで,仲間の殆どが,後々,様々な分野の本を読み漁り,多くの研究業績をあげることになりました)。セムラド先生は,精神科の診断名が誤診でも,正しい診断だと信じてしまうことで,事実が見えなくなることがないようにして欲しかったのでした。セムラド先生に質問したことが,ありましたね。「この患者さんは,統合失調でしょうか,それとも,統合失調感情障害でしょうか?」。セムラド先生は,暫く黙ったまま,顎を撫でてから,「たしか,彼のことは,マイケル・マッキンタイヤーと呼んだと思うけど」と応えました。

 セムラド先生が私どもに教えてくださったことは,人間の苦しみは,たいてい,大切にされないことと大切な人をなくすことに関係する,ということと,セラピストの務めは,人が,自分の生きている実感に「気づき,体験し,身に着ける」のをてだすけすることだ,ということでしたね。生きている実感には,様々な喜びも胸が張り裂けるほどの悲しみもつきものでしょ。「私どもの苦しみの最大の源は,私どもが自分につくウソです」。セムラド先生はそのようにおっしゃって,私どもが経験するすべての局面で,自分が生きている実感に忠実であるようにと勧めました。セムラド先生がよくおっしゃった教えは,自分が知っていることを知っていることなしに,自分が実感していることを実感することなしには,良くなりません,ということでしたね。 

 私が忘れならないのは,この際立ったハーヴード大学老教授のセムラド先生が,次のようにおっしゃったことです。すなわち,「夜中に眠いと思ったときに,奥さんのお尻が当たると,ホッとするね」とおっしゃったことです。こんなたわいもない人間らしいニーズを正直に打ち明けてくださったおかげで,セムラド先生は,たわいもないことが,私共の人生にとってどんなにか大切なことかを,教えてくださいました。たわいもないことに関心を向けることができないと,いくら気高い思想があっても,世界的な業績を上げても,発達できない人になってしまいます。セムラド先生が私どもに教えてくれたことですが,治療とは,体験知に根差す,ということです。皆さんが人生の主人公になることができるのは,自分の身体の実感を,身に沁みて,気づくことができた時だけです。

 私どものプロの仕事は,しかしながら,間違った方向へ移行しつつありました。1968年,『アメリカ精神医学研究』誌は,私が研修医だった病棟の,様々な研究結果を載せました。その様々な研究結果によって明らかになったことは,薬だけを飲んでいる統合失調症の患者さんは,ボストンで最も優れたセラピストに,週に3日セラピーを受けた統合失調症の患者さんよりも,良かった,ということでしたから。この研究は,薬と精神医学が心の病気を治療する治療法が徐々に変化していく,たくさんの節目の1つになりましたね。すなわち,精神医学が,耐えられない様々な気持ちや人との様々な耐えられない関係を,制限されずに打ち明けることを重視していたところから,個々の「障害」を脳と病の様々な関係とみる見方を重視するものへと,徐々に変化していったんです。

 人間のさまざまな苦しみを治療する方法は,その時代に手に入る科学技術によって決まってきます。啓蒙思想の時代以前は,異常行動が,神様や罪や魔術や魔女や悪霊のせいにされた時代もありました。フランスとドイツの科学者らが,行動を研究して複雑な世の中に対する適応だとみなしたのは,ほんの19世紀になってからです。いま,新しいパラダイムが登場しつつあります。怒り,欲,誇り,むさぼり,欲深さ,なまけたい気持ち,その他,人間様が何とかしたいと戦ってきた気持ちも,様々なそれ相当の化学物資を管理することで,直すことができる「障害」となるとされました。精神科医は,「本物の科学者」になれることに,ホッとしましたし,喜びもしたわけです。それはまるで,実験場,動物実験,高価な機材や複雑な診断テストは駆使するのに,フロイトやユングみたいな哲学のある,俄かには理解しがたい理論は,わきに置いておく,医大のクラスメートみたいです。精神医学の教科書は,こんなものになり果てました。「心の病の原因とは,脳の異常,化学物質のバランスの崩れであるとみなされています」と。

 同僚みたいに,私も薬を使う医学の大変化を熱心に活用しました。1973年,私は,マサチューセッツ州立精神保険センター最初の精神医学部長になりましたし。また,ボストンでうつ病患者にリチウムを処方した最初の精神科医は,私かもしれませんしね。(オーストラリアでリチウムを使ったジョン・ケードの業績について読んだことがありましたし,リチウムを使用する許可も病院から得ていました)リチウムを使いましたところ,この25年間,5月になるたびにそう状態になり,11月になるたびに自殺するほどうつ状態になった女性は,私の治療の下では,その悪循環から脱して,安定しています。私はまた,古い精神病棟裏の倉庫に入れられていた慢性患者さんたちの,抗精神科薬,クロザリルを,アメリカで試験する研究チームの最初のメンバーでしたね。奇跡的に薬が効いた人もいましたね。自分自身を隔離した暮らしをずっとしてきて,現実を恐れてきた人々が,いまや家族と地域に戻ることができたんです。暗闇にはまって,絶望していた患者さん達が,人間らしい触れ合いや仕事と遊びの様々な喜びに応じはじめました。こういった素晴らしい結果によって,私どもは,人間のみじめさをとうとう克服できた,と楽観してしまいました。

 抗精神科薬は,アメリカの精神病院の入院患者を,1955年の500,000人から,1996年の100,00人へと減らした大きな要因でした。抗精神科薬の登場以前の世界をご存じでない方には,この変化は信じられないことでしょう。医学校一年生として,私がイリノイ州のカンカキー州立病院を訪れて,目にしたのは,図体のデカい一人の看護人が,何十人もの汚くて,裸にされた,支離滅裂なことを口にしている患者さんたちに,ホースで水をかけているところでした。そこは,家具が一つもないデイルームで,その部屋は,水を流すために,溝が切られていました。この記憶は,私がこの目で見たものというよりは,悪夢みたいなものでした。研修終了後の私の最初の仕事は,1974年,かつては由緒があった施設でした,ボストン州立精神病院の最後から2番目の施設長になりました。この施設は,以前は幾千人もの患者を収容し,たくさんの建物が何百エーカーもの広い敷地に広がっていて,そこには,温室,花壇,作業場もありました。そのほとんどが今では廃墟です。私が施設長だった期間,患者さんたちは徐々に「地域社会」に出ていきました。この「地域社会」とは,十把一絡げの呼び名でして,名もない保護施設や介護付きの小規模施設のことで,そこが大規模施設から出た知的障害者の終の棲家になりました(皮肉なことに,「ホッスヒタル」と呼ばれた知的障害児施設は,「知的障害児の保護施設」としてはじまり,その意味は「聖域」でしたのに,その「聖域」は次第に,皮肉な意味を帯びるようになりました。知的障害児施設は,はじめは実際に避難所になり,皆が患者さんの名前とその人となりを知っていました)。1979年,私が退役軍人局に移動した直後に,ボストン州立知的障害者施設の門は,永遠に閉ざされて,ゴーストタウンになりました。


 

 アメリカは,なんでもバカデカイ,というのが,何度かアメリカの様々な都市や田舎を訪ねた,私の印象です。

 ホッスヒタル,と独特の響きのある呼び名の,「知的障害児者施設」は,ヴァン・デ・コーク教授が指摘しているように,知的障害児を守る施設でしたが,次第に,バカデッカクなって,知的障害児者に対して,家畜以下の扱いをするものに変化しました。ゴーストタウンになって当然です。

 

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