人間は自由をいただいて、それを神のご計画に参与する機会とすることができます。大事に視点ですね。
Young Man Luther 『青年ルター』のp185の下から19行目途中から。
神様のメッセージは、神の秩序の中で分かります。すなわち、人間には、秩序が分かる能力というものが備わっているわけですね。さらには、人が心を育てることにおいて、あらかじめ定められた秩序があります。したがって、人間はあらゆる秩序の中を生きることができますし、人はたくさんな感覚器官を身に着けています。すなわち、直感的な視覚、信頼に基づく理解、パー・ラシオネム・ラシオナレム、すなわち、合理的判断力によって認識することです。人間の理性は、したがって、物事の秩序の中で高い位置づけがされますから、善悪を判断することも、理論的に導き出すことができますし、実際に、導き出さなくてはなりません。
ここも大事なところ。
人間は順境も逆境も生きなくてはなりません。順境の時は、この世に秩序があることも分かり易い。でもね、逆境の時はどうですか? そこに秩序なんてあるものか‼ と感じやすい。世を呪うような気持にだってなるかもしれませんでしょ。でも、エリクソンは、ここで、「人間は秩序が分かる」ばかりではなくて、「あらゆる秩序の中を生きることができる」と言う訳です。すなわち、順境の時も逆境の時も、「秩序」なのです。
もう1つ。人間は合理的な判断力をいただいてます。宇宙の果てを、眼に見えないような微細なところまで、知ろうとしますし、実際知ることができますね。すると、人間はすべてが分かったような気になる場合があります。さらには、全てを自分のコントロール下に置こうと、管理教育の人みたいに、しちゃいますでしょ。全知全能?
しかし、私どもが知っているのは、全てではなく、ほんの一部です。ニュートンでさえ、知っているのは砂浜の1粒の砂だと言ったくらいですよ。内村鑑三も、一部しか知らないという訳ですね。ですから、私どもは慎重でなければなりませんし、謙虚でなければなりません。人の話によくよく耳を傾け、神の言葉を心の刻む必要があるんです。
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