「インビクタス-負けざる者たち-」。BSで放映されたので、久しぶりに見ました。マンデラ大統領のリーダーシップと「虹の国」づくり。少数の白人が、政治経済を牛耳っていた南アフリカ。1994年にマンデラが大統領に就任した後も、議会はさることながら、少数白人が政治経済の中枢にいたことに変わりはなかった。1948年~1990年まで、42年間もアパルトヘイト政策が続き、その間にも白人が黒人を暴力や虐殺などによる力の支配をしていた。黒人は白人に対して強い憎悪を抱いた居たのも当然です。その憎悪を抱いたままでは、白人も黒人もインド人もカラード(混血)も国づくりにともに参加するという「虹の国」づくりはできません。
この憎悪を捨てて、寛容の心、許しの心を持って、民族融和の「虹の国」づくりを現実にしたのが、マンデラだった。その彼を支えたのが一篇の詩、言葉だった。それが、「インビクタス-負けざる者たち-」。ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩でした。そして、「わが魂の指揮官」とは、その一節です。自分が自分の魂の指揮官であり、暴力で自分を支配する者のものでも、ましてや、上司や仲間のものではないと、ハッキリと自覚することですね。ハッキリとした自意識、覚悟、自覚、目覚め、気付き。
1つの人類。エリクソンが大事にした考えです。しかし、それはマンデラが示したような寛容な心、許しの心なしではありえない。エリクソンもそのことを百も承知していましたね。ですから、アイデンティティ、すなたち、「私という感じ」a sense of I を確かにする道のモデルに、イエス・キリストを繰り返し示したわけですね。それはこのブログで翻訳しましたガリラヤの言い伝えと「≪私≫という感じ」にも、ハッキリと示されていますね。
この寛容な心、許しの心の反対語が、「人間を上下2つに分けるウソ」ですし、そのために悪用する「正義の暴力」「正義のアビューズ」ですね。それについても、このブログで何度か取り上げていますよね。たとえば、管理教育の人でしたね。「正しいこと」は、管理教育の人(「教員」と一応呼ばれています)が、子どもや心理支援を裁く道具になります。そして、管理教育をする人が、子どもや心理支援をする私どもの「上」に立とうとすんでしたね。とんでもないことですね。それは、ナチスやポルポトや南京虐殺をやった日本軍と全く同じ「心の傾き」なのに、その病識を全くお持ちではないんですからね。
私どもが学ぶべきは、寛容の心、許しの心であり、その心を支持する言葉なのは、明らかですね。
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