幼稚な道徳と、青年の価値意識と、大人の倫理の区別が大事で、しかも、結び付けたほうが良い。どういうことでしょうか?
p227下から5行目から。
しかし、人が「しなければならない」ことを、地球すべてにせよ、と命令する命令に関する議論を終わりにしようとする時、ブレークが警告していることを思い出した方が良いでしょう。それは、共通善は、「ならず者、偽善者、オベンチャラ」が口にしやすい、ということですし、なにがしか良いことをする者は、良いことは「細部」においてそうしなくてはならない、ということです。そして、実際に、私がここまで申し上げてきたことは、発達と進化の法則についてだけですし、それによれば、倫理に対する心構えは、個人においては、進化がもたらした適応の一部として発達する、ということ、しかし、個人の中で、倫理に対する心構えが育つためには、倫理が世代の繋がりの中で、繰り返し繰り返し、生まれて来なくてはならない、ということなんですね。物事を十分に理解し体系化することを、ヒンドゥーの伝統では、紋切り型でいう人もいますでしょう。私は、私どもが気付いたことによってこの過程に関して分かったことについて、もっとハッキリと申し上げなくてはなりませんね。
良いことは、「ならず者、偽善者、オベンチャラ」でも言うんですね。それは、我が安倍晋三首相を見ればすぐに分かるでしょ。ウソとゴマカシの組織の人でも言いますもんね。でもそれは口先だけなんですね。実態がありません。初めからその「言ってること」を「やってること」にするつもりなんて、露ほどもないんですね。だからこその「ウソとゴマカシ」です。「やらないこと」を隠ぺいするための「ウソとゴマカシ」の言葉なんです。
慣れてくれば、その「言ってること」が「ウソとゴマカシ」の言葉だって、すぐに分かるようになります。子どもは、すぐに気づきます。それが不思議です。
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