日本の学校がウソとゴマカシの組織になっちゃってんのは、1つには本物の「教育」を忘れているから。そこに偽物の「教育」が入り込み、蔓延ってしまいやすい。エリクソンがよく言う通りです。「本物が表から出ていくと、偽物が裏口から入ってくる」ってね。
もう一つ忘れていることは、憲法だと私は思います。
日本国憲法の三大特色は、①主権在民、②基本的人権の尊重、③平和主義、だと言われます。学校は、あるいは、教育行政は、①主権在民と②基本的人権の尊重を忘れていることが多いんですね。
公務員は、公僕であって、(将来の)主権者である、子どもに奉仕する立場です。しかし、教員や教育行政の関わる役人は、まるで子どもや学校の「上に立つ」かのようですね。これは大きな間違いの源なんですね。行政の組織図も、日本では首長が一番上に書き、市民が一番下に来ますよね。日本語で「上に立つ者」と言えば、「組織のトップ」でしょ。
私はその昔、デンマークのオーデンセ市を訪問して、福祉施設の見学をしたときのことを忘れられませんね。福祉施設を訪問する前に、オーデンセ市役所で行政説明を受けた時です。その時、オーデンセ市の若き行政マンが、1枚の行政組織図を見せてくれました。その時、複数のmayor市長が一番下に、citizen市民が一番上に書いてあるんですね。市長は、日本では「部長」か「局長」なんでしょう。分権が徹底しているので、教育や福祉や建設など、その分野ごとに市長がいるんですね。主権者は市民だから、一番上に書いてんですね。
日本は全くの真逆。公務員は公僕なのに、市民の上に立ってんです。これだと「国民主権」に抵触しますよね。
ですから、学校や教育行政担当の役人は、「指導」や「行政指導」で、子どもや学校をコントロールしようとすんですね。そうすると、子どもの人権や教員の人権は、尊重するよりも、制限する方に傾きがちですね。つまり、子どもの自己決定権よりは、「指導」や「行政指導」が重んじられがちです。教員は法定労働時間を守るよりも、果てしない長時間労働を(強いられています)しています。
私どもは、学校をまともな「教育」ができる場にするためにも、憲法を大事にすることを、日々の中に活かしていかなくてはなりませんね。
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