心理臨床の仕事は、聴く仕事です。おしゃべりの私が言うのですから、本当です。一番いい心理臨床ができている時は、こちらはほとんど話をしない。クライアントもあんまり話をしないこともあるくらい。その場合は、話し言葉ではなくて、箱庭やコラージュなどが、クライアントの自己表現になっているので、話し言葉を発する必要がない。それで、心理臨床の仕事は、聴く仕事と言われます。
かたや、祈り。ギリシャ語で、祈るは、προσευχομαι。織田昭さんの『新約聖書ギリシア語小辞典』によれば、「祈る、祈祷する、祈願する」などの意味があるとされます。προσεχωも祈ること。でも、προσεχωは、織田昭さんの『新約聖書ギリシア語小辞典』によれば、「注目する、眼をとめる、耳を傾ける」とあります。祈ることは、聴くことです。祈ることは、通常誤解されているように、お願いをすることではない。
それは、ユダヤ人たちの日々の祈りを考えると、いっそうハッキリ分かります。ユダヤ教徒の朝夕の祈りの中心は「シェマー イスラエル」、すなわち、「聴け、イスラエル」と呼ばれる祈りなんですね。やはり、祈りは、神様の言葉を聴くことで、神様に対して自分の願いを伝えることではない。ですから、私どもは黙って、神の言葉に耳を澄まします。
心理臨床で、子どもの言葉にならない言葉に耳を傾けることも、神様の言葉に耳を傾けることと通じています。ですから、子どもの言葉にならない言葉に耳を傾ける時には、神の言葉に耳を傾ける時のように、大らかで、謙遜で、それでいて自由と相亘る態度が必要です。
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