神様からの憐れみは、相応しくない者にも、もらえます。大きな福音。
Young Man Luther 『青年ルター』のp184のブランクの上9行目途中から。
このように、私どもが現在どうであろうとも、また、今後どうなろうとも、今何ができ、今後何ができるようになるかは、どの一つとってみても、神様からのプレゼントになります。エクソ・ディオ・ノービス・エステ ノン・エクソ・ノービス、「神様から私たちに、であって、私たちからではありません」。しかし、自由意思を放棄することに対して、アウグスティヌスは、縦の関係への径を示しています。その径の標識は、果実と完璧です。アウグスティヌス神学は、アウグスティヌス学派と比べると、母性的です。母性性において、みじめな人間がいつでも確信するのは、キリストの犠牲の故に、自分は、生まれながら、人生のおけるチャンスを貰っている、ということです。すなわち、成長と成果、それから成功の可能性が、自分にも開かれている、ということです。人はいつでも、慈しみの母乳、その自分の分け前か、あるいは、分け前以上を分けていただけると期待することを許されています。
慈しみ深い神様は、分け前以上を、いつも下さいます。その恵みに気付く者の幸い。アウグスティヌス神学は、恵みの神学です。
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