エリクソンの言葉には、言葉にも、遊びがあるエリクソンは、日常的に使う言葉を、ライフサイクルの中で使い直すことによって、日ごろ私どもが気付かずに過ごすことが非常におおい、人生の中にある価値や、人生に対する態度を、......
発達トラウマ障害(DTD)の子ども。エドワードの面倒をみていたティナは、自分が酷い関わりしかできてないことが分からないから、「良いこと」をしていると勘違いしてたんですね。
The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.347のブランク後の、最後のパラグラフから。エドワードの昔語りの続きです。
「その時、私は喚き出したんです。部屋を出ようとしたんです。でもね、別の役者が2人とも、実に大男なんですけれども、私を抑えつけたんです。2人は私を椅子に座らせたんですが、私と言えば、振るえ慄いていたんです。それで、ティナが言ったんです。「お前はお前の母親だ、お前はこの話しをすることになろう。お前はお前の母親だ、自分で自分を生み出すことになろう。そして、じぶんじしんにむかっていうことになろう、そうしなさいってね。お前は死なないだろう。お前は確信しているに違いない。確信下に違いないこと、それは、あの幼子の誕生だ、お前は決して死ぬことはない、ということ。
リチャード2世のセリフなのに、まるでエドワード自身が言った言葉見たい。演じていたはずなのに、何時の間にか、自分、≪本当の自分≫を取り戻すことに繋がっている…。
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