子どもが示す出来事を通して、神は大人に語りかけられていることが非常に多いんですね。ですから、≪語りかける神≫は、子どもの出来事を通して、≪語りかける神≫なんですね。出来事=言葉、なのですね。
p67はじめから。
あらゆる一神教の体系においては、神学的ではなくて、神秘的な体系でさえ、スピリチュアルな領域には、リアルに感じさせるものがある、という前提があります。たとえば、スピリチュアルな領域まで超え出た人は、スピリチュアルな力に意味と実際の働きも認めますし、救いと心の再生を求めます。非神学的な体系では、スピリチュアルな領域に目覚めた人以外には、スピリチュアルな領域は全くありません。≪真の関係≫、分別、正義の領域が、イキイキ、ピチピチするのは、自分自身の中に、自分自身が発達する過程を通して、スピリチュアルな力を育てることができるからこそですし、育てることができている間だけなんですね。この視点に立てば、人が人生に意味を与えない限り、人生には意味は全くなくなりますよ。すなわち、人は他者を助けない限り、全くのひとりぼっちなんですね。
一人ぼっちのお母さ~ん。大学の教員をしてても、子どもの前にしても、一人ぼっちのお母さ~ん。ここも是非読んでくださいね。
子どもを前にする時、最も大事なことは、その子に負けてあげること。オマケをするんです。だけど、一人ぼっちのお母さん。いつでも勝たなきゃ、我慢ならないお母さん。愛娘の前でも、一人ぼっち。
研修なんぞに行ってる場合じゃぁ、ありません! まず最初に「負ける」ことを学ぶことですよ~! 負けることこそがスピリチュアル。
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