ルターが回心したのは、神様と出会ったのは、トイレだった。それがとっても大事なことですよね。
Young Man Luther 『青年ルター』p204の第5パラグラフから。
しかしです。この場所問題はすべて、ことさらに触れておくことが必要なことなんですね。というのも、どこで事が起こったのかという場所の問題は、ある種の心の病と関係があるからなんですね。まず第一に、人がどこで事が起こったのかと言う、場所の問題は、特定の身体のニーズを満たすのに役立ちます。その体のニーズは、場所が上手に働いている間は、その場所が、気持ちと関係していることが分からなくなります。しかし、かの精神科医みずからが指摘しているのは、ルターは、生涯を通して、便秘と閉尿、オシッコが出たいと感じるのに、実際にはなかなかオシッコができないこと、に苦しみ続けた、ということです。
便秘や、オシッコが出たいのに、実際には出ない尿閉で苦しんだルター。なかなか出せないのは、ウンチとオシッコだけじゃぁなかったんですね。人間が内側から出すもので、ウンチとオシッコと同じくらい大事なのは、気持ちです。その気持ちをガマンすること、我慢していることも気づかないでいることが、心の病の共通する特色です。ルターは、このガマンの質であったことが、呪いの源になったわけですね。それがまた、恵みに繋がっている不思議です。
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