エディプス・コンプレックスは、現実には実現不可能な時期で、しかし、その実現を空想できる時期に現れる不思議です。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p49の第2パラグラフ10行目途中から。
このように、最初の本能のような願いと、それに応じて感じる「僕はダメな子」「私はダメな子」という感じは、一番強烈な子どもの葛藤と、陽気で楽しいことが一番育つこととが結びついている発達の時期に、現れるように仕込まれています。他方、空想的な願いが、「僕はダメな子」「私はダメな子」という感じとともに、どんなに強くなっても、それは、次の「潜伏する」学童期には、水面下に潜るように仕込まれてもいます。その代わり、青年期になって性的成熟が進み、その結果、直接男女の関係を求めるようになると、エディプス・コンプレックスの、異性の親を征服して、同性の親と競争したい、という子どもの時の空想の燃えカスが、理想的な英雄達や指導者達(具体的な地域や競技場をコントロールし、「劇場」や世間もコントロールします)を分かち合う世代が抱く征服と競争に対する気持ちに結びついていきます。こういったことにはすべて、本能のようなエネルギーが伴っていますし、社会秩序が、世代が再生されるときには、その本能的なエネルギーの影響力があるものなのです。
ここでは、子どもの頃の征服と競争の気持ちが、若者の征服と競争の気持ちと結びつくときには、「人間を上下2つに分けるウソ」をセンセーショナルに煽る「指導者」、「尖閣を守れ」、「中国が攻めてくるぞ」なんぞという、アベシンちゃんに騙されちゃうと、「朝鮮人は出ていけ~」『中国人は死ねー」などと言うヘイトスピーチにもなり、戦争法案に「賛成」したくなる人も出てくるわけですね。ここのカラクリが分かると、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちには、騙されなくなります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます