#平和 は #同行二人 から
#私が今ここで生きている実感の源 は #聖書の神様 と #一心同体 になること それが #アイデンティティ The Galilean saying and......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 P.110,第2パラグラフ。
今朝は,その15行目から
青年期と理想:
本当の自分と真実
…
青年のために予め用意された,箱だけで商品が入っていない偽の礼拝にする毒気は,「全体主義」です。この「全体主義」は,硬直した様々な考えに囚われて,問答無用に掲げたお題目に,熱に浮かされながら,人をイジメながら,夢中になることです。この全体主義の道連れは,青年に特有な自己愛的な(訳注:身勝手な、安倍ちゃんみたいな)人や,様々なイデオロギーにありがちな,聖書の神様でないものを,神として崇める偶像崇拝ですからね。それから,この「全体主義」は自己愛とピッタリですし,この自己愛は,ひとりびとりの若者に特有なものですし,イデオロギーが偶像崇拝になりやすいことに特有なものでもありますし,偶像崇拝に退行しているみたいでしょ。つまり,仲間内の理屈がない訳じゃない,ということです。さらに,聖書の神様と一体になる舞台は,「仲良くなる」の舞台とも一体です。すなわち,仕事,友達,大切な人と仲間になりたい気持ちの中で,いつも互いに大切にし合うサンガこそが,「仲良くなる」の舞台です。この青年期に聖書の神様と一体になる舞台は,日常生活を礼拝にするリストの中に,「自分から仲間になる」スピリットが加わります。青年期の舞台の,形ばかりで中身がない偽物の礼拝になる側面は,自己愛村でして,この自己愛村は,仲間以外をイジメる「上から目線の集団」になります。自己愛村 が仲間以外をイジメる「上から目線の集団」になるのが分かるのは,さもしさと偏見の巣窟と,熱狂的な意見や冷酷な厳罰,という,この世でお馴染みのお化けが,恋やお仕事,友情や絵空事で結びついた若者のお喋りや活動に広く行き渡りますから,人間が喉から手が出るほど求めている絆ができたと思うようになります。
翻訳に相当工夫がいるところでした。封印を解いて,いまの世の中を考える一助になればとの思いからです。
①さもしさとは,世の中の全体は見て見ぬふりをして,自分と自分の所属集団だけが得することに傾く心ねです。
②偏見とは,世の中の全体は見て見ぬふりをして,自分と自分の所属集団だけが得する考えに傾く考えです。
➂熱狂的な意見とは,世の中の全体は見て見ぬふりをして,自分と自分の所属集団だけが得する意見だけが正しいと思っている狂気です。
④冷酷な厳罰とは,世の中の全体は見て見ぬふりをして,自分と自分の所属集団だけは大目に見て,自分と所属集団の仲間以外には,厳しく,ケチなお裁きをする狂気です。
その思いと考えと狂気というお化けに憑りつかれて,結びつくのが,自己愛村の特色です。
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