#人生の不思議 #圧倒的なリアリティ
#聖書の言葉 #1人豊か #本物の平和への道 私の好きな聖書の言葉から。10回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。 最後に,兄弟の皆さん,さ......
Chilhood and Socirty から。p.61の第3パラグラフから。
今朝は第6パラグラフ。
たとえば,依存症の人たちは,赤ちゃんだったころの自分がしたみたいに,身体も満たされ,気持ちも元気になる様々な物を、口と肌で,取り入れて,その物と一体になることに依存しています。ところが,依存症の人たちは、喉から手が出る程,赤ちゃん返りを願っている、なんてことにはひとつも気付きません。依存症の人たちが,駄々をこね、鼻持ちならないことを自慢し、文句を付けるほど、それとは裏腹に,赤ん坊じみた魂が、ハッキリと表に出るだけなんですけどね。
逆に,双極性障害(躁鬱病)の患者さん達は,何の望みもなく,空っぽで,物で満たすこともありません。つまり,ぶち壊しにしなければ,と思うような,悪い者や敵で満たすこともありません。あるいは,不意に良い気分が充満しますから,力が湧いてきて,元気モリモリになる気分が際限なく広がって,「そこまでにしておいて」という人の意見を受け付けなくなります。しかし,躁鬱病の人は,下に立つキリストも知らなけれは,良くも悪くも内的促しがどこから生まれてくるのかも知りません。
ヒステリーの人達は,もしも,女性であれば,まるで,奇妙に物に付け込まれ,攻撃され,拒まれているようなのに,しかも,物に取りつかれているようでもあります。子どもを孕んだこともないのに,分析してみると,その女性が当て買われた最初の役目を示す出来事を孕んでいるんです。ヒステリーの人はその最初の女(男)性の役割に取りつかれているんですが,ただし(なぜなら),その最初の性役割は,はるか昔の子どもの頃にある,受け止めきれない体験になっています(から)。
こういったとても辛い思いをしている人達全ては,それが依存症でも,うつ病でも,気持ちを言葉にできない人でも,幼い頃のどこかの時を生かすことができませんから,幼稚な真似から自分を守ることになりますが,その守り方は頑固で,骨折りで,結局はうまく生きません。
たほう,繰り返し押さえつけて,お務めをさぼる,見て見ぬふりをする病んだ人には,真実を避けて,それ相応の悪い癖があります。
ここも,皆さんかご自分のいまここを理解する,一助になれば,との思いを実現するために,封印を解く時に工夫して翻訳しています。
聖書の神様のいのち,その驚きと感動,それに伴う,陽気で楽しい歓び,という真実 を実感できない人は,聖書の神様の創造のお務めをさぼることに相場が決まっています。いまここを見る目かありませんから,また,見えても、自分の得にならないことは,見て見ぬふりをするのが相場ですから,それは,悪い癖に現れます。
しかし,そのご当人は,病んでいるし,悪い癖があるのにもかかわらず,その自覚がありませんから,一人前のお勤めかできている,と錯覚している場合がほとんどです。
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