一部しか知らないから、もっと知りたいと思う。一部しか知らないから、人の話に耳を傾ける。
Young Man Luther 『青年ルター』のp185の下から12行目途中から。
ここからは、サーティチュード・コンジェクチュラエ、「推測に基づく確信」しか出てきません。しかし、ともかく、聖トマスは、能動的で合理的な推測の出来る部分を確保したわけですね。その推測ができる部分は、以前にあっては、信頼と希望の場でしかなかった訳です。この哲学において、人は考える葦として、新しい自分を確かにする、すなわち、「理論家」として自分を確かにする道を手にしました。したがって、私どもは、トマス・アクィナスの神学は、「合理的に自分を確かにする道」を中心に置いていると言えるかもしれません。その自分を確かにする道は、理性によって理解した神の秩序によって価値アリとされる道なんですね。
トマス・アクィナスは合理的な理性を重視し、その分人間に自由があることを示したようですね。それは、その自由を用いて合理的判断をすることで、自分を確かにする道だった、とエリクソンは教えてくれています。
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