#妬む母 と #息
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「発達トラウマ障害 Enpedia」
① EnpediaをGoogle検索
② 「Enpedia内の検索」で「発達トラウマ障害」を検索
の二段階の検索が必要です。
(Google検索では、「発達トラウマ障害」は検索しにくい操作【おそくら、内閣府情報調査室の仕業,です】が施されています)
をご参照ください。
Childhood and Society p.79の6行目から、今日はp.80、9行目から。
クライエントの寄り添う仕事をしていて気付かされるのは、諸悪の根源たる上下2つに分けるウソは、赤ちゃんの時期に始まる、ということです。諸悪の根源たる上下2つに分けるウソがあると、乳首をかじる歯に対する激しい怒り、目の前に居ない母親に対する激しい怒り、激しく怒ってもどうにもならないことに対する激しい怒り全ては、イジメたり、イジメられたりするのが善いと錯覚した人達が、人に強制したり強制されたりすることになるんです。お母さんと一心同体に成ることをぶち壊しにしたのは、自分だ,という創造をぶち壊しにする強烈な悪影響を生涯残すことになります。この赤ちゃんの大津波は,自分自身との関係の中と、周りの人の関係の中で起きることですが、人生の中にある、聖書の楽園喪失の物語です。聖書が示す楽園喪失では、アダムとイヴは、眼の前にあるものを、難なく思い通りに受け取るのが正しい、という生き方を奪い取られたんです。アダムとエバは、禁じられたリンゴに嚙り付いて、聖書の神様を怒らせてしまったんです。禁じられたリンゴは、深くてみんなのことを指摘していると理解しなくてはなりませんし、禁じられたリンゴは、赤ちゃん時にお母さんと一心同体に成ることは、深い満足をもたらす一体感だ、ということを示しているに違いありません。深い満足をもたらす一体感は、人が心優しく安心して育つ中で「悪意」に晒されていますから、深刻にならざるを得ません。
最初の口の舞台に関して、私どもがお話しする互いに大切にし合うこととは、赤ちゃんが物事を受け止める具合と、お母さん(子育て)が赤ちゃんに物事を挙げるやり方がシックリ噛み合うことです。しかしながら、様々な舞台で、激しい怒りと痛みが広がらざるを得ない場合,互いに大切にし合うことが、互いに相手を満たし合うことによって、ビッタリ一体になることになりません。歯が生えたことに対する激しい怒り、筋の凝り、便が上手にできないこと、ものを零す失敗などは、全て、内的促しが強すぎて、上手くいかない場合です。親たちも子育ても、幼子が心の小悪魔(訳注:心響かせてくれない母親・大人に赤ちゃんが自分の実感を捨てて合わせること、小説『1984』と同じ)に出会うことに付け込むのは、自分らの都合を子どもに強制するためなんです。しかし、親たちも子育ても,発達の舞台にビッタリ合わせるのが当たり前になっています。ですから、離乳は、突然オッパイを貰えないことや、突然お母さんが眼の前に居なくなり安心できないこと、に成らないようにしなくてはいけません。ただし、子育ての場が、小悪魔を生み出すようでは、赤ちゃんは突然オッパイを貰えないことや、突然お母さんが眼の前に居なくなり安心できないことになりますし、他の女性たちも、“ 私も心響かせてくれない母も同然だ ”と思わざるを得ないし、感じざるを得ない場合も、赤ちゃんは突然オッパイを貰えないことや、突然お母さんが眼の前に居なくなり安心できないことになります。この2番目の時期に、代わりに成るものもなしに、馴染んだお母さんの慈しみをなくしてしまえば、赤ちゃんは急に押し黙ってしまうか、目立ちませんが、いつもクヨクヨすることになります。目立ちませんが、いつもクヨクヨすることが、生涯憂鬱な通奏低音に成ります。しかし、一番善い場合でも、この2番目の舞台の故に、幼い頃に身に沁みた意地汚さと悲しき定め(の悪癖)が生涯にわたり繰り返し沁み出ます。
第二の舞台、一歳過ぎの子どもを大事にすることが、それを社会的に保障することが、子育てで最も大事で、最も困難な舞台です。
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