良心の出来方。良い良心と悪い良心
閲覧数を見とる、私の能書きよりも、翻訳の方が人気があるようです。今日はToys and ReasonsのRitualization in Everyday Life に戻ります。...
悪い良心ほど、恐ろしいものはありませんね。自罰的、他罰的だからです。自分を罰していけば、最後に自殺に至ります。他の人を罰していけば、厳罰主義に至りますし、ジェノサイドと戦争という名の、多くの人を殺める殺人か、一人から数人を殺す殺人事件に至ります。ですから、お母さんが子どもと一緒にいないことは、「仕事なんだから…」、「お母さんは忙しいんだから…」などという、一見「正当な」理由があっても、ダメなんですね。子どもにとっては、「アンタは私が一緒にいる(ずっと一緒にいる、同席する)ほどの値打ちもないんだよ」と繰り返し告げることに、体現することに、具体化することになりますからね。すると、子どもは、上記のブログのありますように、「私どもは自分自身を、価値のない、罪深い存在=「悪い子」として軽蔑するようになります。さらには、時として裁かれた時だけホッとするほど残酷に、自分自身を軽蔑しがちなのです。そればかりか、自分自身と向かい合うことができるのは、まるで這うものを強烈にさげすむように、他者をさげすむ時だけになります」ということになってしまうのです。
それが、繰り返しになりますが、東電の、安倍晋三首相の、渡辺喜美代表の、有名デパートの、有名レストランの、佐村河内守さんの、…、ウソとゴマカシの始まり(元型)なのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます