エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

今の日本の学校が陥っているのは、「善意の暴力」です

2015-06-18 22:49:39 | エリクソンの発達臨床心理

 

 子どもと関わる時には、子どもとの≪約束≫に基づく関係がとっても大事ですね。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p48の第3パラグラフから。訳飛ばしがありましたので、訂正します。

 

 

 

 

 

遊ぶ年代がくれる礼拝の根源的な要素は、子どもバージョンの「演じること ドラマティック」です。漸成説の図表が強く主張するのは、しかしながら、「演じる」要素が、「ヌミノース」の要素や「分別」の要素に取って代わるのではなくて、「ヌミノース」の要素や「分別」の要素にプラスさせる、ということです。それは、漸成世の図表が、生育歴で今後辿ることになる要素、すなわち、フォーマル、形を整える要素と、イデオロジカル、価値を見つける要素を予測しているのと同じです。大人の儀式や儀礼、行事で、「ヌミノース」、「分別」、「演じる」要素がないものは1つもありませんでしょ。子どもが遊ぶ面に対応する制度は、しかし、舞台かスクリーンかでして、それは、演じることを、恐れ多い感じに、あるいは、ユーモラスに表現する中で、あるいは、「演じる」出来事が示される、境界線がハッキリしている競技場(広場、お寺、裁判所、入会地)で持ち味を発揮するんですね。「自分はダメ人間」だという感じに善い方向を付ける、創造的な礼拝のやり方が亡くなるとね、「楽しく陽気に」行動をすること、「楽しく陽気に」やる気を出そうとするのを、「それは正しいことではない」だとか、「今遊んでちゃダメでしょ」だとか言って、正しいことを押しつけてダメだしすることになると、私は思いますよ。それを、モラリズム、「善意の暴力」と言う訳ですね。

 

 

 

 

 

 ここもあっぱれ、エリクソン、ですよね。これこそ、今の日本の学校の多くが陥っている現実ですね。それこそ「善意の暴力」です。

 エリクソンが教えてくれるように、「楽しく陽気に」行動すること、「楽しく陽気に」やる気を出すことを認めていく礼拝が、どれだけ大事か、ハッキリ分かります。この礼拝をするのが、今の臨床心理士の役割ですし、ハッピーになることを目指す金森俊朗さん張りの、本物の教師ですね。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アベシンちゃんと、悪魔の仲... | トップ | 「蓮の花」のシンクロニシティ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿