人を大事にすることで学ぶべきものはない、との誤解
人を大事にする時でさえ、交換して得することしか考えない。愚か者。
p4の第2パラグラフ。
人を大事にすることなど学ぶことはない、などという前提に繋がる第三の過ちは、恋に「落ちる」最初の経験と、人を大事にするという、不変の状態、あるいは、人を大事にする事に「踏みとどまる」状態を混同している、ということですね。もし2人が見知らぬ同士で、私どもみんなと同じように、2人を隔てる壁を不意に壊して、親しみと一体感を感じるのならば、この一体になる瞬間が、人生の中で、最も気分爽快で、最もドキドキする体験の一つになるでしょう。その瞬間は、バラバラで、孤立し、人から大事にされたことがない人たちにとっては、なおさら素晴らしく、なおさら奇跡的です。不意に親しくなるという奇跡が生まれるのは、性的な魅力とセックスのクライマックスが結び付くか、端緒となるか、そのどちらかの場合が多いのです。しかしながら、この種の、人を大事にすることは、その性質からして、長続きはしません。この2人はお互い馴染んできますし、2人の親しみは次第に奇跡的な性質をなくしてきますが、終いには、2人は、敵意、失望、退屈さを感じて、最初のドキドキした感なくしていることに気づきません。お互いに「夢中」だと感じることが、2人がお互いに相手を大事にしている強さを証明するものと思われがちですが、お互いに「夢中」であることは、2人が今まで述べた一人ぼっちである、その程度を証するだけなんですね。
エリクソンのライフサイクルの地図には、8番目の舞台を、ユッタリ見ていきましょう。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.4の、最初から。
8番目の舞台
ホワイトハウスの会議に間に合うように、generativity ジェネラティヴィティ《次世代の人や事を、自分が損しても、育むこと》を受け入れるようになってからも、子育て、旅行や科研費、他の目的のために忙しくしていました。かなりのエネルギーを失ってしまったけれども、老年期が始まったと感じるまで、頑張りましたよ。たぶん、私どもは2人とも、時には坂道を下っていたんでしょうけれども、自分らが下り坂に差し掛かっていることを深刻に捉えていませんでしたし、友人たちも、それで良しとしてくれてました。
実感がないと、分からなかったのでしょう。8番目の舞台に、エリクソン夫妻が実際に差し掛かってから、この8番目は実感にあるものになって行ったのでしょうね。
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