エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

病にも値打ちがある

2013-11-15 03:33:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ルターの聖歌隊での発作は、よく考えたら、パウロの回心とそんなに変わらない、そのことに気付くと、近代合理主義と功利主義゛が混ざったような考え方が支配する時には分からないことでも、人生の不思議に気付かされたものにとっては、その意義を認めざるを得なくなる、と言う様な性格のものなのでしょう。

 

 

 

 

 

 シェールはプロテスタント系の神学者です。彼にとっては、一番大事な仕事は、こういった無意識からくる病と、圧倒されるような不安やこういった幻覚のような記憶や気がめいるような絶望からくる発作を、神の口から息が真実に吹き込まれたものとして説明することにあります。そういったことが、若かったころのルターを時々悩ましましたし、年齢を重ねてきた人をますます悩ますのです。シェールにとってこういったことはすべて geistlichであるけれども、geistigではありませんでした。つまり、スピリチャアルではあっても、頭が変なことではなかったのでした。ルターに関するドイツ語の文献を通して、自分自身の道を見つけだそうとすれば、骨が折れることが多いでしょう。その文献というのは、「Seelenleiden」(魂の苦しみ)や「Geisteskrankheit」(精神の病)と呼ばれる様々な精神状態に触れる文献です。こういった用語は、いつでも、「魂soul」にするのか、それとも「心psyche」にするのか、あるいは、「スピリットspirit」とするのか、それとも「mind気持ち」とするのか、悩むところです。特に悩みの種なのは、医者が、宗教改革の人の「魂の悩み」を主として生物学的に診断する時なのです。しかし、この「教授」は、ルターの伝記を特に学術的に神学的学派の代表として引用する際には、シェールと呼ぶことにしましょう。この教授が、1つのとても落ち着いた雰囲気の伝記の中で主張したことは、ルターのあらゆる奇妙な動揺は、押しなべて、天から直接下ってきたものだというのです。つまり、Katastrophen von Gottes Gnadal.  大いなる神が下された大いなる災難、と言う訳です。

 

 

 

 

 WHOの健康の定義にスビリチャアルなレベルが加わって10年ほどでしょうか? 近代になって私どもは、スビリチャアルなレベルの健康があることを忘れていましたね。それを見失っていましたから、ルターのような発作をみれば、「頭が変になった」とすぐに思い込んでしまいがちです。そこはさすがにプロテスタントの神学者シェール先生は、それは神から下された災難であって、その先にはきっといいものをくださるという、摂理Provisionを見通していたはずです。

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