人生行路用の地図 アイデンティティの危機を超えてきたからこそ、出来た地図世界最高の特効薬 : 子どもの共感性、どうやったら伸びるのかしら? 「人の気持ちが分かることになってほしい」。親御さんや先生の立場の大人なら、一......
「いらっしゃ~い」。三枝さん(いまは、文枝さん)の決めセリフではありませんよ。
イエスが湖の上を歩いている話が、『新約聖書』の最初にあるイエスの物語「マタイによる福音書」第14章22~36節にあります。前田護郎先生の翻訳では、
「22それからすぐ弟子たちを強いて舟に乗せ、彼が群衆を解散させる間に向こう岸へ先に行くようにされた。23彼は群衆を解散させてから自分だけ山に上って祈られた。夕方になってもひとりでそこにおられた。24舟はすでに陸から数スタデオも離れていて、向かい風のため波になやまされていた。25夜明けの三時すぎに彼は湖の上を歩いて彼らのところへ来られた。26弟子たちは彼が湖の上を歩かれるのを見ると、おどろいて、幽霊だといい、おののいて叫んだ。27イエスはすぐに語りかけられた、「安心なさい、わたしだ、こわがることはない」と。28ペテロは答えた、「主よ、あなたなら、わたしに命じて水の上を歩いてそこまで行かせてください」と。29彼はいわれた、「来なさい」と。そこでペテロは舟からおりて水の上をイエスのほうへ歩いて行った。30しかし風を見ておそれ、沈みかけたので叫んだ、「主よ、お助けを」と。31ただちにイエスは手をのべて彼をつかんでいわれる、「小信もの、なぜ疑ったか」と。32彼らが舟にあがると、風は凪いだ。33舟の中のものはひれ伏して彼にいった、「本当にあなたは神の子です」と。
34湖を渡って彼らはゲネサレの地に来た。35彼と知ってそこの人々は周辺の地にくまなく人をつかわしたので、人々は病人を皆彼のところに連れて来た。36そして彼の着物の裾にだけでもさわらせてもらうよう願った。さわったものは皆いやされた。」
です。
ここでは、「来なさい」と翻訳されいます。ギリシア語では、ἐλθέ エルセー で、「来る」を意味する ἔρχομαι エルコマイ の第2アオリスト 二人称単数の命令法です。
ペテロは勇んで湖の上を歩き出しましたが、波風が立っているのを見て、怖くなったのでしょうね。ペテロは沈みかけてしまいました。ペテロは「岩」という意味でしたから、デブだったのかもしれません。でも、体重の問題ではなさそうですよ。イエスが「小心者めが」とお叱りでしたからね。カトリック教会の基を築いたペテロでさえ、この程度なんですね。
私どもも、イエスの声、イエスの呼びかけに応じて、人生の歩みを起こすことがありますでしょ。ペテロにも及ばない私どもは、「超小心者」ですね。ですから、湖の波風だけじゃなくて、世間の荒波にも、恐れおののいてしまいやすい。でもね、「怖がらなくても、大丈夫」と言うイエスの言葉を信頼していると良いですね。神様が共に居てくださるからです。ここで、一昨日のブログ聖書の言葉: 神の名前エヒエーに繋がりましたね。神様はいつも「共に居る」存在で、圧倒的で、静かな、湧き上がる悦びの源でしたね。信頼は、湖の波風だけじゃなくて、世間の荒波を信頼して歩んでいる中で、おのずと身に着く、人生の習慣です。
あなたも、どうぞ、いらっしゃ~い!
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