エリクソンの愛敵の教えは非常にクリアです。
p363の10行目途中から。
(控え目に表現するというイギリス英語の言葉で申し上げれば、ガンディーは、非暴力的なストライキを指導しているのに、まさにその工場主とランチの後のお茶を非常に頻回に共にしていることに、この非暴力の精神がよく現れています。)ストライキという場は、イエスの時代のガリラヤの丘のように、私どもの広い場面からも、はるか遠くに取り除かれているかのようだ、と感じる人もおられるでしょう。それに、実際問題、人間らしい在り方に対する脅威を、人間の言葉を用いて解決することが可能だとすれば、それは、あの危険と真正面から立ち向かうことでしょう。つまりそれは、技術的には完全な殺戮システムを操作したり、道徳的な怒りを、露ほども感じることなく、何百万人もの人々を殺すことに手を貸したりすることに、抵抗できない危険に、真正面から立ち向かうことです。
感情なしに、まるでテレビゲームをしているかのように、現実に何百万人もの人を殺すシステムがあります。科学技術は、すでに核を手に入れた日から、その瞬時に大量虐殺可能なシステムも手に入れています。それを使わずにいる、ということは、科学技術の問題であるよりは、むしろ、人間性、あるいは、人格の問題になりますでしょ。
それは、エリクソンが言う非暴力の定義を、日々現実の生活の中で、具体的に生きてみることにほかなりませんよね。
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