信頼と勇気の練習は、それを意識して毎日やれば、叶うもの。
p119第2パラグラフ。
人を大事にする技術を議論する議論は、この章で申し上げて来た性質や態度を身に着けたり、育てたりする、個人の領域に限られたものではありえません。それは、人との関わりの領域と不可分に結びついているんですね。もしも、人を大事にすることが、どんな人に対しても大事にする態度を身に着けることだとするなら、もしも、人を大事にすることが、性格傾向だとするなら、人を大事にすることが、自分の家族や友人に対してだけではなくて、仕事や取引や専門を通して関わる人たちに対しても向かいます。自分の身内を大事にすることと、見知らぬ人を大事にすることに「分業」など決してありません。反対に、身内を大事にすることが、見知らぬ人を大事にすることができるための条件です。この洞察を真面目に受け止めれば、人との関わり方が、今まで習慣にしていた関わり方から、劇的に変わります。口先では、「あなたの隣人を大事にしなさい」という宗教的理想を語りますが、私どもの実際の関わり方は、一番うまくいくときには、「公平さ」という原理がモノを言います。公平さとは、商品やサービスのやり取りをする時に、あるいは、気持ちのやり取りをする時に、詐欺やペテンを使わないことです。つまりは、「あなたが私にくれる分、私はあなたにあげます」ということを、モノに関しても、人を大事にする時にでも、やることが、資本主義社会では、最善の広く行き渡った倫理です。公平な倫理を育てることは、資本主義社会に、特に倫理の面から貢献することだ、とさえ言えます。
資本主義社会では、人を大事にする時にも、モノやサービスをやり取りする場合と同様、公平さが大事だと言います。
しかし、それだけじゃぁ、人を大事にする点では、不十分ですね。フロムはその点を今後展開するはずです。
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