見ることの三項関係 心はこの三つが結びついてできるものなのです
加藤周一のような哲学的な評論家リップマンのモノを見る時の「単純化」の問題を、エリクソンは引用します。その単純化に伴う、とてつもなく大事な三項関係の登場です。実際の環境...
1)イメージ、2)話し言葉、3)出来事・事実 が正直にぴったり一致すればするほど、人の心は、全体が一つに(ホール whole)、すべてが一つに(オール all)、健康的に(ヘルシー health)、尊く(ホーリー holy)なりますし、それは近くの人々の心を自ずから癒す力(ヒール heal)を持ちます。すでにお気づきのように、ここで示したすべての英語は、全体が一つ ホール wholeの派生語です。すなわち、心がバラバラにならず、全体が一つになると、健康で、尊い心が出来上がるわけですね。
そのような心に成長するためには、何にもまして、≪温もり≫が必要です。その温もりは、≪真の関係≫を通じて得られるものなのです。お母さんが、たとえ自分が損をしても(一生懸命ですから、夢中ですから、「損」とも思わない方が普通です)、赤ちゃんと温もりのある≪真の関係≫になれれば、これ以上のものは、この世にありません。この温もりのある母子関係は、まるで神様が私どもひとりびとりに対する態度でして、この神様と私どもの関係に、一番近いものなのです。
このような温もりのある母子関係、2人の関係ができると、様々な物事を「共に見る」ことができるようになります。それは先日も触れた通りです。≪いまここ≫にある、現在のものごとに始まり、≪さっきここ≫、≪さっきそこ≫、≪さっきあそこ≫という過去の時空にあるものごとを「共に見る」ことや、将来の時空、≪あとでここ≫、≪あとでそこ≫、≪あとであそこ≫を「共に見る」ことに発展していきます。また、決まり事やルール、あるいは、希望や願いを「共に見る」といった、秩序や社会建設をしていく上で欠くことのできない、決まりやヴィジョンを「共に見る」ことにも繋がっていきます。温もりのある母子関係と、母子2人が「共に見る」ことが、人間にとって、いかに根源的な重要性を持っているかが、自ずからお分かりだろうと思います。ですから、赤ちゃんの時の発達の危機は、根源的信頼感(a sense of basic trust)と根源的不信感(a sense of basic mistrust)のせめぎあい、戦いになるわけですね。
ところがです。いま日本では、田舎でも都会でも、お金持ちで貧しくても、会社員でも自営業でも、この「温もりのある母子関係」が極端に不足しているケースが、実に残念なことなのですが、ビックリするほど多いのです。これは、「日本が非常に貧しい社会である」ことを端的に示す中心的な課題です。この温もりを知らないで育った子どもが(したがって、大人が)ビックリするほどたくさんいるのです。そういう子どもは、温もりのある2人の関係、愛着関係ができてませんから、基本的に「共に見る」ことが “できない” のです。日本の学校教育は、2者関係、2項関係ができていることを前提にしていますから、今の日本では、「まともな教育」ができません。日本の学校教育が前提としている2項関係ができていないコドモが、ビックリするほどいるからです。学んだり、ルールを守ったりすることが “できない” 。
私どもは、温もりのある母子関係が、“できる” ような社会に、チェインジしなくてはなりません。
みなさん、その実現のために、今日という日を使ってみませんか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます