エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

最深欲求としての「自分自身を知れ」

2014-06-06 05:10:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「繋がっていく」見方は、「相手の味方になる」見方。

 「相手の味方になる」見方は、「自分のことはいったん脇に置いとく」見方。

p.29第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 自分自身のことが分かりたいし、仲間のことも分かりたいという願いは、(ソクラテスの)デルフォイ神殿のモットー「自分自身を知れ」の中に表現されています。これは心理学のミソです。しかし、この願いが一人の人のすべてが分かりたいということならば、すなわち、その人の最深欲求を理解したいということならば、ありきたりの知識や、頭でひねり出した知識では、その願いは決して満たされることはあり得ません。100回でも1000回でも、「私はこういう人だな」というところに行きついたって、私どもは最深欲求にまでは届きません。私どもは、自分自身に対して、いまだ謎のままですが、それは、我々の仲間たちが私どもにとって、いまだ謎のままであるのと同じです。最深欲求までもがよく分かるようになる唯一の術は、「≪真の関係≫を実際にやってみる」ことです。「≪真の関係≫を実際にやってみる」ことは、頭でひねり出した知識を乗り越え、言葉だけの言葉を乗り越えます。「≪真の関係≫を実際にやってみる」とは、相手と繋がっていくことに、自分自身を放り込んでいくことなのですね。ところが、知識は、それが心理学の知識でも、「≪真の関係≫をやってみること」で相手の最深欲求まで理解するための必要条件なのです。私は、その相手の人と自分自身を客観的に知っていかなくてはなれません。それは、相手の現実を理解するためというよりも、いや、むしろ、幻想、すなわち、私が相手について、身勝手に思い描いた、歪んだイメージ、に打ち勝つためです。一人の人を客観的に知るだけで、私は相手の究極的な本質(である最深欲求)を、「≪真の関係≫をやっていみことで、理解することが、果たしてできますか?

 

 

 

 

 客観的に理解することも必要ですが、それだけでは相手のことを、その最深欲求までは、理解できません。自分を相手との関係に放り込み、≪真の関係≫になるようにしていかなくてはなりません。それは、相手と繋がっていくこと、一体になる経験です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 温もりと学び | トップ | 約束 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿