現代人は、本当に人を大事にする、ということを体験してないんですね。今どきの日本だけの現象では必ずしもない。
p93の第3パラグラフ。
もう1つの「おセンチな大好き」は、時間の点で、人を大事にする気持ちを抽象的に語ることです。カップルが自分たちがかつて大事にしあったことを思い出して、心底、心ふるわせるかもしれませんが、この過去が現在になった時点で、大事にする気持ちは全く経験されていませんし、将来大事にすることを空想する場合も同様です。婚約したカップルも、新婚のカップルも、たくさんのカップルが、将来、お互いに大事にし合うことを夢見ますが、暮らし始めた瞬間から、お互いに退屈しだしてはいませんか? こういった傾向が、現代人の一般的な態度の特色でしょう。現代人は、過去と未来に生きていても、現在に生きてないんですね。現代人は、子どもの頃やお母さんをおセンチに思い出したり、将来の幸せを計画したりします。人を大事にすることを、人様がこしらえた作り物にのめりこむことによって、偽物を経験してもしなくても、あるいは、人を大事にすることが、現在から離れて、過去や未来に移し替えてもしなくても、この抽象化され、本当に人を大事にすることから離れてしまった関わりは、アヘンとして役立ちます。このアヘンは、現実の痛み、すなわち、個人が1人ぼっちで、バラバラである事の痛みを和らげてくれるんですね。
現代人は、本当に人を大事にすることが分からない。それは、本当に自分が大事にされた経験がないからです。
日々人から大事にしてもらった経験があれば、それは根源的信頼感を豊かにすることができますから、人と離れていても、絆を実感できます。あるいはまた、人と違っても、その違いに価値があると感じることもできます。
ところが、現代人は、その多くが根源的不信感に大きく傾いていますでしょ。すると、人と離れていることに耐えられない。人と違うことをすることに、大きな不安を覚えるんですね。それじゃぁなくても集団主義の日本。ますます、人と離れたり、人と別のことをすることに対する不安と恐怖が募ります。同調圧力がそれだけ強まる結果、人と離れていたり、人と違うと「空気読めないの?」という感じの非難が飛んできます。そうして、ますます、空気が苦しくなるみたい。現代人の心は酸欠です。
ですから、フロムの言う通り、スクリーン上で「ありのまま」が流行るんですね。それは皆さんが「ありのまま」ではいられないことの裏返し。
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