現代人、当然、今の日本人は、自分の暮らしが危うい暮らしだ、ということを感じている人が実際は多い。それはお金持ちでも、貧乏でも変わりません。貧乏である人ほど、切実に生活の危うさを実感しています。でもね、お金持ちでも変わらない。貧乏でもお金持ちでも、その危うさを、その危うい自分を見ないようにしている点で、対外共通しています。
p97第2パラグラフ。
この点で、このように、生活を神の戒めに従って変えることなしに、擬人化した神に、子どもっぽく依存している点で、私どもは、中世の宗教的文化の人よりも、むしろ、偶像崇拝をしている原始人に近い。もう1つの点では、私どもの宗教的な状況が示すものは、現代西洋資本社会にだけ当てはまる、新しくて、独特の特色をです。私は、この本の中ですでに述べたことに触れることもできます。現代人は自分を消費者に変えてます。すなわち、現代人は、自分の人生を投資として経験すんですね。その投資とは、現代人は、人材市場における自分の立場と状況を勘案しつつ、最大の利益を得ようとするということです。現代人は、自分も、仲間も、自然さえも顧みることはありません。現代人の主たる目的は、自分の技術、自分の知識、自分自身を、すなわち、「自分の人材パッケージ」を、公平で有利な取引を目論んでいる人に、できるだけ高く売ることです。現代人にとっては、人生には、売れるモノ以上の目的はない、公平な取引以上の原則はない、消費するモノ以上の満足はない、となる訳ですね。
現代人は、「なんでも鑑定団」のように、全てをお金で換算してしまいます。逆に言うと、お金に換算できないものは、勘定に入れない、という訳ですね。もうそれだけで十分に病んだ状況でしょう。なぜなら、『星の王子様』にあるように、「肝心なものは、眼には見えない」からですね。現代人は、最も肝心なものは、勘定に入れないのですから、基本が病人ですね。
その病人となった現代人は、仕事を選ぶときも、結婚相手を選ぶときも、友達を選ぶときも、カネ勘定、となる訳ですね。寂しいだけじゃぁなくて、哀れですよね。
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