自由自在に生きたいものですね。
Young Man Luther 『青年ルター』p.221の 下から7行目途中から。
ルターがロマ書講義の準備ノートで言ってます。そこでルターは大学教授として円熟してきましたし、独断者であることもハッキリしてきました。「内省がよくよくできれば、真に謙遜になれます。真に謙遜になれば、真実が分かります。真実を知れば、スピリチュアルに自ずからなります」。同時にルターが、この激しい怒りの傷を、(怒りの)神の性質を変えることによって、上手く癒すことができます。すなわち、この世の父親のように気分屋で、幼い子どもにとっては理解できない存在ではなくて、神は、ira misericordiae ラテン語で「激しく怒るけど、気前が良い」(本当は気前が良い、激しい怒り)、という性質を手に入れたんですね。このように考えたから、ルターは、神が「父なる神」になることを認めることができましたし、神が私どもを救ってくださることも分かったんですね。
怒り、それも、激しい怒り、と言ったら、嫌なもの、耐えられなたもの、我慢ならないもの…とルターはずっと思ってたでしょうね。父親はその種の激しい怒りを、来る日も来る日も、朝昼版に関わらず、ルターにぶつけていたんですからね。
神の激しい怒りも、「うちのおやじと同じだろぉ」と始めは感じてたでしょうね。ところが、思ってもないことだったでしょうけれども、「その激しい怒りが、気前の良さ、温かい気持ちと結びついてたんだぁ」と気付きが与えられた。大声で泣いたでしょうね。もちろん、嬉し泣きですよ。それが、ルター誕生の瞬間であり、ルターが神に出会った瞬間でしたね。
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