いろんな人との仲良くする。それに異論をはさむ人って少ないんじゃないかしらね。でも、それは「ただで出来るもんじゃぁ、ない」んですね。アイソレーション 「異性や異世代や異なる立場の人とやり取りせず、コントロールしようとしたり、なるくべ関わらずにおこう、とすること」よりも、intimacy インティマシー 「異性や異世代や異なる立場の人たちと、やり取りのある関係ができること」の方を、選択するという主体的な心構えと行動が必要だからです。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p71の第2パラグラフから。
若者が、intimacy インティマシー 「異性や異世代や異なる立場の人たちと、やり取りのある関係ができる」ようになったり、人と自分を大事にする気持ち、になったりすることを邪魔するお邪魔虫、それが、exclusivity エクスクラッシィヴィティ 「仲間はずれにしたい気持ち」なんですね。このexclusivity エクスクラッシィヴィティ 「仲間はずれにしたい気持ち」は、形の上から言っても、働きの上から言っても、いい大人になってから出てくる rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」と深~い関係にあるのも当然です。また、exclusivity エクスクラッシィヴィティ 「仲間はずれにしたい気持ち」の中には、intimacy インティマシー 「異性や異世代や異なる立場の人たちと、やり取りのある関係ができること」になくてはならないものであるのは、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい気持ち」が、generativity 「次世代の人や事を、自分が損しても、育むこと」になくてはならないのと、同じです。でもね、exclusivity エクスクラッシィヴィティ 「仲間はずれにしたい気持ち」も、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」も、非常に破壊的ですし、ましてや、自己破壊的です。というにも、1人も仲間はずれにできず、1人も大事にする相手の仲間から、仲間はずれにできないでいると、過剰に「自分はダメだぁ」と思う結果になるからですね(あるいは、原因になる場合もあります)。それは、1人も仲間はずれにできず、1人も大事にする仲間から仲間はずれにしできなければ、自分自身を許せなくなってしまうのと同じです。
仲間はずれにしたり、大事にしない相手がいることは、不幸です。でもね、仲間はずれにできなかったり、大事にしない相手にできなかったりするのも、別の意味で不幸ですね。いずれも、自己コントロールしていないからですね。無意識の暴力が働いている点では、2つとも全く同じです。前者は、無意識の暴力が他の人に向いている場合です、後者は、無意識の暴力が自分自身に向かっている状態です。
大事なのは、みんなを仲間にしたい、みんなを大事にする仲間にしたい、と意識でコントロールすることです。たとえそれが完全にも実現しないことであってもね。
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