人生千秋楽を迎えた時に、「いろいろとあったけれども、良い人生だった」と振り返りたいものですね。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p65の第2パラグラフから。
そこで、私どもがはじめてintegrity 「二律背反があっても、まとまりを付ける力」を定式化したときの、そのやり方をもう一度見たいと思います。しかし、もしも、高齢者がいろんな点で、再び子どものようになるならば、疑問なのは、この「変化」が、wisdom 「闇の中に光を見出す叡智」を伴った子どもらしさへの変化なのか? それとも、限りある子どもらしさへの変化なのか? ということです。(高齢者は、年を早くとりすぎるのか、あるいは、年を早くとりすぎたいのかもしれませんし、それとも、いつまでも若いままでいるのかもしれませんし) ここで、ある種のintegrity 「二律背反があっても、まとめる力」だけが、物事をまとめる力があります。integrity 「二律背反があっても、まとめる力」とは、人の性格だけを言うのではなくて、「いろいろあったけど、良い人生だった」と言って人生をまとめる方法を理解している人の話を理解し、あるいは、「耳を傾ける」、人と分かち合った、心構えなんですね。
人生がまとまって見えてくると、「いろいろあったけど、良い人生だった」と言いやすい。人生にまとまりがつかないと、「良いこともあったけど、結局は人生なんて、夢幻に過ぎない」などと言いやすい。その差はどこから来るのかしら?
この答えを、ここでエリクソンが教えてくれてますね。人生を上手にまとめている人の話を善く聴くこと、そこにある心の構え、生きる姿勢を学ぶこと。その点、西村秀夫先生や、野村實先生、宮嶋眞一郎先生、高橋三郎先生に出会えたことは、またとない幸せだったと、確信しています。
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