過去の辛かったことに、きちんと向き合わないと、人生は始まらない。過去の辛い歴史にきちんと向き合わないと、外国との関係が始まらないのと、同じです。
Young Man Luther 『青年ルター』p217の 9行目途中から。
自我は、過去に失ったことやら、罰があたったことやらを諦めることができますし、未来に無理なことを求めなくもなりますよね。すると、自我は、現在の幻想にふけるようになります。また、疑いや心配事に対する、一番不確かなあらゆる憶測を、穢れない、現在にあるような、一番安易なひとつながりの経験を思い出すことで、防ごうってわけですね。健康でまとまりのある自我にとつて、時の流れは、自分を確かにさせる道を後押ししてくれます。それで、まとまりのある自我は、死を恐れなくなります。(これは、フロイトが精力的に指摘してきたことですね)。つまり、まとまりのある自我には、死という考え方がないんですね。まとまりのある自我が怖れるのは、悪い良心、衝動、それに、現実に対するコントロールを失うことです。
現在の幻想とは、ユングが教えてくれているように、集団の幻想、吉本隆明さんの言葉で言えば、「共同幻想」ですね。みんなで何となく、妄想していることがあるんですね。その妄想にみんなで流されている。それはウソとゴマカシにはまって、取り返しのつかないことになる前触れです。
太平洋戦争に入り、女子供を含めて300万人以上の人が惨めに殺されたこと、原発事故のために、いまも10万人以上が難民にさせられていること、挙げればきりがありません。ですから、そのように幻想に流されないで、自覚的な、意識的な態度が大事になりますよね。
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