パレーシアはあくまで理性で勝負するのでしょう。
「パレーシア」の発展の、2番目に重要な側面は、政治分野と関係します。「パレーシア」がエウリピデスの戯曲と紀元前4世紀の文書に出てくるとき、「パレーシア」はアテネの民主主義の欠くべからざる性格です。しかし、私どもが一般的に申し上げられることと言えば、「パレーシア」は、善良な市民の倫理的で個人的な態度の1つと言うだけではなくて、民主主義の指針であるということです。アテネの民主主義は、市民が「デモクラティア」、「イセゴリア(平等な言論の自由)」、「イソノミア(権力の行使にすべての市民が平等に参加すること)」、それから「パレーシア」を自由に使える政治制度なのです。「パレーシア」は、公式に話をするための必要条件ですから、個人としての市民の人たちの間で行われますし、1つの議会をなす市民の間でも行われます。さらに申し上げれば、広場(アゴラ)は「パレーシア」が行われる場です。
パレーシアが民主主義の指針である、ということは、今の日本では、ことさら重要です。ウソとゴマカシが蔓延している日本、「口開けば、唇寒し」の日本、ホンネとタテマエの日本だからです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます