「ただの人」も、宮田光雄先生に教えられた視点です。「神のユーモア」と同様な視点です。
「ただの人」とは、宮田光雄先生によれば、「自分は自分である」ということと同じだ、と言います。「自分は自分」。トートロジー、同語反復ですから、ナンセンス? でもね、深い意味があるはずではないですか。
日本社会は、同調圧力が猛烈でしょ。親が、先生が、仲間の友達が望む自分になることの方が、「自分は自分である」ような自分になるよりも、大事にしますでしょ。また、とにかく、何かに追われるような暮らしをしている人が多いですからね。「自分と向き合う時間がない」と言いますね。もちろん口実ですけれども、こちらが “内省をしてほしいなぁ” と思う人ほど、そんな口実、言い訳を言いますね。「〇〇があって、忙しくして…」。そういう人は「自分がない」。常に周りに流されていくし、そうすると、弱い立場の子どもは、そういう人から一番蔑ろにされちゃいます。弱い者いじめロボット。
「ただの人」として生きることは、自分と向き合いながら、生きること。それは他人の評価に左右されない自分です。「それはつまらない」という人もいるでしょう。選択、自己決定ですから、「他人の評価を気にする人」、「気兼ねの人」になる選択肢もあります。私は「自分は自分である」という自分になることを選択します。
それはどんな自分でしょうか?
宮田光雄先生の『メルヘンの知恵』(岩波新書 新赤版882, p48)によれば、それはこういうことです。
「自分自身に即して生きる充実感、自分が本当に自由であるという解放感、自分がこうして生きるのを許されていることの静かな喜びなどを、こころに深くかみしめながら生きていけるのではないでしょうか。」
そんな充実感、解放感、静かな喜びを、あなたも味わいながら、生きませんか?
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