#世紀末なニッポン #今がない子どもたち #未来もない子供たち #絶望的な子どもたち #ニッポンにいっぱい聖書の言葉: ἀλήθεια アレセイア 真実とは 再び 無意識の悪魔の仕業 smile版根っこって、スゴイですね。オーストラリアではなくて、東京の根っこで......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
第19章。「応用神経科学:恐怖に急き立てられた心を脳にもう一回繋ぎ直す/コンピュータ関係工学」から。p.320,第4パラグラフ,1行目途中から。その前もご一緒に。
セバーンは思い出を語ります,「リサが初めて私に会いに来たとき,秋だったわね。リサはぼんやりした眼で歩き回ってて,どこに行くにもカボチャを抱えてました。心ここにあらず,って感じ,取り付く島なしだと思いました」と。お話し療法は,リサには,無理でした。セバーンが,リサに気が重たくなるようなことを訊いても,リサは落ち込むか,パニックになりました。リサの話では,「子どものころにどんなことがあったのか,話そうとする度に,体が言うことを効かなくなるの。猫たちと一緒に起きても,情けなくて,食事ものどが通らないし,横になっても眠れません。」ということでしたね。
リサは,いつどこにいてもありました。「私はいつでも怖がりでした。触られるのが,大嫌いでしたしね。いつもビクビクしていて,心配性でした。周りに人がいたら,目を瞑ることも出来なかったでしょう。目を開けた瞬間に,誰かに蹴飛ばされるかも,と思ってしまったんです。ですから,皆さん,不安になります。信頼出来ない人が部屋にいたら,皆さん、身体も気も休まれないでしょう。腕に触られたら,首を絞められた感じになります。」リサは,逃げ出すことが出来ないショックの中で,身動きができなかったんです。
リサは,幼い頃に解離したことを思い出しましたけれど,思春期の後は,解離がもっと酷くなりました。「いろんな猫を追いかけ回すようになり,学校の人達はいろんな名前を私に付けるようになりました。決まった男友達が居なかったのは,解離している時には,別の男友達とデートして,しかも,それを覚えていなかったからでした。私は,眼を開けていても,目の前が真っ暗になって,綺麗で奇妙な様々な場面が見えたんです」。重たいトラウマを負わされた多くの人達と同様に,リサも鏡の中の自分が誰かも分かりませんでした。リサほど,生きている実感がズタズタにされたら,どうなるかを,ハッキリ言い当てた人は,今迄会った試しがありません。
リサが生きている実感を実感させてくれる人が誰もいませんでした。「私が16の時,重度の心の病で苦しんでいる青年達のためのグループホームに暮らしていた時,缶で深く自傷してしまいました。私は救急救命センターに運ばれましたが,何にも覚えていませんが。救急救命センターの医者は,解離性人格障害の人がいるのいうことは,全く認めませんでした。...精神衛生部門で働いていた人は,解離性人格障害の人なんて居ない,とじ ている人が多かったんです。『あなたは解離性人格障害ではないし,そもそも,解離性人格障害なんて人はいないんだよ』いう訳です」。
退院して最初にリサがしたことは,薬を止めたことでしたね。「薬なんで誰にも効かないんだから。でもね,人によってはいい場合もあるわ。薬が必要な人もいるけど,私には合わなかったんだから。薬を止めて,ニューロフィードバックをする方が,はるかにマシよ」とリサは認めましたね。
セバーンがリサをニューロフィードバックに招いた時,セバーンは何にも期待していませんでしたね。リサは,セバーンがニューロフィードバックをした患者で,解離がある患者の最初になりました。2人は週に2度面接して,右側頭葉の脳波が一定になってきまた。右側頭葉は,脳が恐怖を感じる中枢です。数週間後,リサは人が周りにいても自分はピリピリしてないなぁ,地下の選択部屋がもう怖くないなぁ,と気付いたんです。それで,大きな突破口になりましたね。リサは解離しなくなったんです。「私はいつでも頭の中で低い声で鼻歌を歌っていたんです。統合失調症になるのが怖かったんです。半年間ニューロフィードバックを受けてみて,頭の中の雑音が聞こえなくなりました。まとまったんだと思います。全てのことが一体になったんです」。
リサは,自分が生きている実感が続くようになるにつれて,体験してきた様々なことを話せるようになりました。「ようやく自分からはなすことができるようになれました,子どもの頃に体験した様々なことも。初めて,セラピーを『する』ことができ始めました。それまでは,適当な距離を自分と保つことも出来まなければ,自分を落ち着かせることもできませんでした。みなさんも経験の渦中にいたら,自分の話しを話すなんで無理でしょ。私はセラピストと関わるために皆さんが心開くようにして,自分に触れて心開くようには,自分に触れることができなかったんです」とリサは言いました。これは,実に素晴らしい天啓でしたね。というのも,治療をいったん初めても,途中でやめてしまう人が,とても多いからなんですよ。それは,「渦中」のままですから,体験と意味のある関係を持つことができないからなんですよ。もちろん,いまここの自分がわからない時はどなたでも,周りの人たちの実感も分かるはずもありませんよね。
リサは続けてこう言いました,「お母さんが私にピッタリとくっ付いていてくれないことが,とってもとっても不安でした。どの部屋に行っても,その部屋から出るところ全てをできるだけ覚えておこうとしましたし,人もできるだけ細かく覚えて置こうともしました。私を傷つけるものはなんでも死に物狂いで忘れずにおこうとしてたんです。いまは,まったく違ったやり方で人を見ています。恐怖から人を記憶するんじゃぁ,ありません。先生だって,打たれると恐れずにいる時は,人を違って見ますでしょ」。
ここなどは,平凡なことが書いてあるように一見見えますでしょ。でも,安心と信頼が人間にとって,とっても大切なことをリサさんが述べているんです。
心の習慣の大転換がおのずから起こります。
ですから,聖書でも,繰り返し「恐れるなぁ」とキリストは教えているんです。
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